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こんにちは。究進塾編集部です。
今回は、究進塾youtubeチャンネルより「新井先生の数学史」の解説をご紹介します。数学の授業を受けていて「なぜ?」と疑問に思ったこと、置き去りのままにされていませんか?
新井先生の数学史は、そんな「なぜ?」に向き合っていくことで、数学と仲良くなれる、そんな講義です。
第1回目は「負の数」についてです。マイナスの数って、いったい何だろう?改めて考えてみるとよくわからなくなってくる、気になる疑問にアプローチします。
講師:新井康仁
日本大学文理学部数学科卒業 東京理科大学理学専攻科数学専攻修了
あるときは「分数の割り算」や「-×-=+」といった当たり前の概念を受け入れられない生徒に向けて、「実は数学者もそうだったんだよ!」と共感し、数学史を紐解きながら、数学者がどのように考えて、受け入れたか、を説き、またあるときは、数学の漫画や絵本を薦めて、生徒の数学への好奇心を掻き立てることに腐心する。「数学とは、すなわち考えること」を体現し続ける伝道師です。
数学史とは
数学を作ってきた人がどういう気持ちで、歴史を、一つ一つの理論を作ってきたか。それを知るのが「数学史」です。みなさんの教科書で言うと「コラム」に掲載されている部分です。各単元の下の方、あるいは一番後ろのページに数学者の名前が載っていて、紹介されていると思います。そこの部分です。
数学史を学ぶ意義とは?
生徒のみなさんも、学校のテストや入試が主にやってきた内容として多いので、数学史に焦点を当てて学ぶ機会がなかなか少ないのかなという印象があります。でも、これを学ぶことによって子どもたちがどう変わっていくのかなっていうのを日々学校の中で見ていくと、子どもたちが数学に興味を持つきっかけの1つにはなってくれているな、というのはすごく感じています。
それで、単元への導入だったり、まとめだったり、展開のなかで「数学者ってどんなことを考えていたんだろうね」というのを生徒さんに振りながら、歴史も振り返ってあげて、数学者の話もしてあげると、問題のことも忘れちゃって「あれ?そういえばこの数学者、こんなことやりましたよね?」というふうに、生徒の側が数学に近づいてくれる瞬間があるんですね。
そういうことを経験する機会が、学校の中で持つのが難しければ学校の外で、今でいえばYouTubeの動画やInstagramなどのSNS、本だったり漫画だったりで紹介されていることもあります。ですので僕もその一つとして、数学者の話をしながら、数学の内容も伝えていくっていうことを目指して、対話も含めてやっていけたらなと思っています。
数学のギモン
ところでみなさんは、数学に関してどういう風に思っていますか?
キュウちゃん
苦手・・・
どこらへんから苦手になりましたか?
キュウちゃん
中学から気になっていたんですけど、-1 × -1、マイナス同士をかけるとなぜプラスになるのか、今でもわかりません!
そうですよね。僕もまさに、中学生の時に自分で教科書を予習して、教科書の横に「マイナス同士をかけたらプラスになるっていうふうに解くんだよ」と書いてあるので「まぁそうなのか」といったん受け入れてやっていったものの、「なんか引っかかるな…」という気持ちがあったんですけど、みなさん同じですか?
キュウちゃん
同じです!
ですよね!
![]() ![]() ![]() 数学の先生が、気持ちをわかってくれてうれしいきゅ~! |
実は「マイナスの数を受け入れられない」というこの気持ちというのは、数学者も持っていたんですね。
“数学者”のイメージ
数学者って、どういうイメージですか?
キュウちゃん
“すごい天才”というか
ですよね。何考えてるかわからない感じですよね。僕も大学で数学科へ行ったときに、大学の先生が、自分が質問した時に「君の何が解らないかが解らない」と言われちゃって。「そうか、質問を用意するのも難しいな」っていうふうに感じたことがあるんですけれど。
まさに天才と一般的な人と比べた時に「何か違うな」って思うのが普通だと思うんです。けど、実は当時の天才たちも「マイナスの数は受け入れがたい」っていうふうなことが、ちゃんと残っているんですね。
で、みなさん「パスカル」って知ってますか?気圧の単位で「ヘクトパスカル」ってありますよね。あれの人なんですけれども、今回紹介したい数学者の1人目がパスカルです。
![]() パスカル(Blaise Pascal) [1623~1662] フランスの数学者・物理学者・思想家。円錐曲線における定理の発見、計算器の考案、トリチェリの真空実験の追試の成功に基づくパスカルの原理の発見や、確率論の創始など、多くの科学的業績を残した。ジャンセニスムの信仰に入り、イエズス会を「田舎の友への手紙(プロバンシアル)」で攻撃。キリスト教弁証論を書くための覚え書きが死後「パンセ」としてまとめられた。 (デジタル大辞泉 「パスカル」より引用) |
この人が、著書『パンセ』の中でマイナスの数に対して、まさにみなさんが疑問に思っているような、こういうことを載せているんですよね。
「0-4=0 が理解できない人たちがいる」
この人、こう思っていたので本の中に載せちゃっています。
これ、どう思いますか?マイナスの計算って、多分中学校1年生の最初に出くわすと思うんですけど、その時の気持ちになって「0-4=0」を見ると、どうですか?
キュウちゃん
そりゃそうだろうと思います。素直に考えたら「無いものから引けないでしょ」って思っていました
そうなんですよね!だってそもそも、0って何もないことを表す記号だったのに、それから引けって。「なんか、あの、おかしくないですか?」っていうふうに、なんか逆に怒りたくなるっていうか。パスカルもそれが普通だと思ってたからこそ「0-4を0だっていうことが分からない馬鹿者がいる」っていうふうに載せてるんですね。
数学者と自分たちが同じでいるっていうのは、結構安心しませんか?
だから、実はそういうところから始まって、これを受け入れるまでに色々な背景があったんです。なので、これをみんなが受け入れられるようにするためには、この人たちがどんなことに苦しんでいたのか、悩んでいたのかっていうところを、お話できたらいいと思っています。
・・・・・・
ないのに引けないきゅ・・・
“数”について考えてみよう
これを考えてる時って、多分「物の個数」をイメージしてると思うんですよね。0個なんていうのは「ない」んだから、だから4個のものなんて引けるわけがない。
だから、このパスカルもそうなんですけど、「物の量」の話をここではしていますね。それまで算数でやってきたものとしては、「物の個数を数える」っていうところから来てるものなので、いきなりこんなものが登場されちゃうと、今までの自分たちの持っている意味みたいなものに、ずっと縛られていく。
これはなんかすごく自然なことだなと思ってるんですけど、実はここを離れないといけない時が、どうしても来てしまったっていう。
新しいものが出てきた時に、「逆にきっかけを与えてくれた存在」と思ってあげるといいのかなっていうか。ポケモン捕まえるような感じですね。新しいポケモンが出てきたら「新種のポケモンだ」みたいな感じで捕まえて仲間にしていくっていう感じなんですけど、数学は結構それに近くて。
きゅ!?
多分小学校でやっていた数って、「分数の数」ってのもあるし「少数」もあるし。あとは「整数」もあるんだけど、中学校1年生でやる言葉の中で難しい言葉で「正の整数」とかって出てきちゃうんですよね。
なんかこれ気持ち悪くないですか?「正の整数って何なんですか?」っていう。なんかこの「正の」っていう形容詞がすごく気持ち悪かったなって思ってて。で、正の整数っていう自然数までできますね。だから「正の整数と自然数は同じだよ」って習うんですよね。
だけど「自然数の方が、不自然じゃないですか?」っていう。だって「数を見て自然って見えるんですか?」みたいな、そういう感じですよね。「整数」だったら「なんか整ってる感じ」みたいなのは分かりますけど、「自然数」って言われても、そもそもじゃあ「自然数って見えるんですか?」みたいな。そういう話ですよね。何が自然なの?っていう話で。
物の個数を数えるっていうのは1個、2個、3個、4個って数えるのが当たり前だから「0個=物がないんだよね」って言ってるんですよね。「0なんか見えるわけないじゃん」みたいな。だからこの発想はなんか普通だなと思えるわけです。
⌒
ないりんごは見えないキュ
じゃあ、なんで「正の」とかつけるんだよって話ですよね。わざわざ「正の」とつけるということは、「何かと区別をしたい」っていうことなんですよね。「正の」ということがあるってことは「反対には何があるんですか」っていうことです。正の反対って何でしょうか。
「負」ですよね。
全然反対じゃないの分かります?なんで「正」の反対が「負」になるんですかね。「正しい」の反対が「負け」になってるっていう。意味わかんないなって思ってて(笑)。これ未だに僕もわからないんですが。正しいの反対が負けになるって、「“正しくない”にすればいいのに」みたいに思うんですけど、そうやって考えているとだんだんよくわかんなくなるっていう。
「負のイメージがある」「ネガティブ」とかっていう言い方をよくしますが、日本語の由来を調べていくと、数の方にもうちょっと近づけるのかなって思ってて。僕が数の話をする時は、結構「由来」を話したりするんですけど、そうすると当たり前のように今計算してることが、そんなに当たり前でもなかったりするんです。
中学校だと文字が出てきますよね。「文字は何で置いてもいい」とかって、教科書でも多分書かれるだろうし、先生も言うだろうし。だけど、じゃあ数学者はどう思ってるのかっていうと、「何でもいいとは思ってるけど、半分くらいは何でもいいとも思ってない」みたいな感じです。だって方程式が出てきた時にx、y、zを使うのって「何でもいいと思ってるのに、なんでアルファベットの後ろの文字を使うんだろう?」とか、不思議に思いませんか?
そういうところが結構、この「言葉」のところに出てくるんですよね。だから「正の反対=負」っていうことは、正と負を分けてしまう“境目”がないと、おそらく「正」と「負」っていうふうに多分出てこないんですよね。
じゃあこれ、何がキーワードになってくるんだろう、ということで今度は多分「その境目を探そう」という、歴史はそういうふうになってくるのかなっていうことなんですよね。
「0-4=0」について考えてみよう
で、さっきのこの「0-4=0」という量のところなんですけど、「量でいうと、まあなんとなくこれは意味的にはあってそうだ」っていうか。なので今の気持ちを述べると「意味の方を優先している」っていうふうに考えてるんですよね。
これはちょっと特殊な例で分かりにくいと思うので、一度0じゃない数で考えてみましょう。
例えば、「6-4」で考えてみます。6-4はいくつですか?2ですよね。小学校の時にやった通り、引き算は結果としてこのように出てくるものの、…「検算」とかって教わりますよね、「これ、本当にこれが合ってるのかな。これが正しいかどうかを確認してみましょう」みたいな計算のことですが、確認する時って、どうしました?
キュウちゃん
4+2=6
っていうことですよね。つまり、これ「引き算の反対は足し算だ」っていうことを使ってるので、マイナスの反対はプラスになります。ということは、これ右辺から左辺がちゃんと成り立ってるってことですよね、いつも通りやっていくっていうのは。
じゃあこれって、他の計算も含めて全部で成り立ってないと、全部の計算が壊れちゃいますよね。じゃあ、同じことを「0-4=4」にしたら、これ、どうなりますか?
キュウちゃん
!
どうなるんですかね。というのは、いま逆やりましたよね。だって今「2+4」は「6」なんですよね。じゃあこれ何にならなきゃいけないんですか?
逆をやると、要求しているのは「0と4足して0になれ」ってことですよね。逆って、0+4=0。
はい、またおかしなことが起こりました。
「もらってるのに、ない」っていうことが起こるんですよね。「どういうことだよ」みたいな。そうすると、意味を優先したことっていうのは、もしかしたら半分あってるけど半分間違ってるみたいな。
おそらくそういうふうに数学の方が捉えてるというか。「数学が捉えてる」って言っちゃいましたけど、「数学生きてんのか!?」みたいな話ですよね。数学は、多分だんだんと、生きてるように思えてきます。
というのは、皆さん「全部意味がある」ってすぐ思ってしまうというか、計算の式を与えたら「これには何か意味がある」って思ってしまうと思うんです。でも、まぁ数学は生きてるので、皆さんの気持ちをお構いなしに勝手に進んでいってしまいます。
それがこれの例なんですね。勝手に進んでいってしまうっていうのがあって。勝手に進んでいったしまった結果、何が生まれるかっていうと、
意味を1回手放す
ということが生まれます。それはどういうことなのか、ってことです。意味を手放すって何なんだっていう(笑)。
では今「何を大事にしたいのか」っていうことが大事になってて。元の規則を大事にしたんですよね。だからこの手放したことによって生まれるのは、今度は「規則」ですね。規則を優先する方に回ります。そうすると「意味」から「規則」っていうことなので、おそらく今まで皆さんが持っていた認識に対して、何かを道具として加えなきゃいけなくなる。それによってもうちょっとその距離を縮めていく、みたいなことが今度は必要になっていく。
ということで、ここからまた時代が動いていきます。
…っていうのを、実は待たなきゃいけなくなってしまうんですね。それが、数学者たちがもうずっと「マイナスを受け入れられない」っていう期間が長かった時期があるわけですね。
実は「よく分からなくなってからが面白くなる」っていうのが、数学なんですね。
負の数への理解、いったいどうなっちゃうの?後編に続きます!
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