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みなさまこんにちは。究進塾副代表の粕川(かすかわ)です。今後不定期ではありますが、有益な情報を発信していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、ご存じの通り、センター試験が来年度で終了します。その次の「大学入試共通テスト」「英語外部検定」をめぐる報道は散発的ながら、たえず各メディアで話題になっています。

『新大学入試の大欠点”自己採点ができない” 何点取れたかのかが全然わからない』プレジデントオンライン 2019/07/26

<東北大>「大学入学共通テスト」英語の民間試験活用見送り 東北の受験生の負担考慮 | 河北新報オンラインニュース 2019/8/11

受験生はもちろんのこと、保護者の方々におかれても「いったい何をしてあげられるのか」と、ご心配のことと拝察いたします。またわたくしどもと致しましても、少なくとも受験生に不要な混乱が生じないことを祈るばかりです。

ただ昨今の情報過多と申しますか、虚実ないまぜの報道や各種バイアスのかかった記事を読んでいくにつれて、「何が本当に大事なのか」ということが非常にわかりにくいと感じています。とくに顕著なのが、「読解力」「思考力」「表現力」「コミュニケーション力」などなど。こうした言葉は、内実にある力を身につけるというよりも、検証すらされていない商材の謳い文句に成り下がっている感さえあります。

そこで、今回から数回に分けて、巷で話題になりがちな「〇〇力」というものについてのお話をさせて頂きたいと思います。

「読解力」について

以前、「さくさく勉強法」という、究進塾の運営するブログで、「お子さんの読書について」というテーマで記事を書かせて頂いたことがあります。
非常に冗長な記事になってしまったのですが、いわゆるペーパーテストにおける「読解力」ということばが何を指すかということについては、明確に定義を定めています。
・「読む能力」
・「理解(咀嚼)する能力」
・「問いに答える能力」

こうお話をすると「問いに答える能力が読解力に入ることには違和感がある」とお伺いすることがあります。むろんわたしの勝手な定義なので、参考程度にお考えいただいて構いません。ただ、あえてこの「問いに答える能力」を入れているのは、「読んで理解してもそこで終わってしまう」という生徒さんが多いためです。

例えば、センター試験の問題にせよ、大学入試共通テストのサンプル問題にせよ、素材は何でも構いません。どれだけの生徒さんが、解いたあとの問題の処理方法について知っているかというと、特別に指示をしない限りほぼゼロだと考えています。

具体的に申し上げると、「問い」がマーク式の問題であれば、「なぜその解答を選んだか」ということを考えるところまでは、おそらくみな共通して作業しています。しかし、例えば正答できた場合に「これを次にどう活かすか」ということについて、どれほど多くの受験生が考えてくれているでしょうか。

また、記述問題についても同様です。「解答に必要な要素を拾い上げる」「因果関係に留意してまとめる」といった作業は、おそらく授業や問題集で説明があるので、実行する受験生が多いと思います。しかし、「なぜその要素が解答に入らなければならないのか」「課題文のロジックと解答のロジックとに相関関係があるのか、ないのか」といった、フレームワーク(枠組み)にまで落とし込む受験生はほぼ皆無です。

すこし乱暴な言い方をしてしまいますと、多くの場合現代文の試験を経ても、課題文を「解答に必要なところだけを見て終わり」という受験生がほとんどです。そしてその場合、「蓄積」がありません。つまり「読んではいるけれども、必要な読み方が身についていない」のです。そのため「問題をたくさんやったのに点数が上がらない」「記述問題は〇×の波が大きい」といった不満を持つにいたります。

そこで「問いに答える能力」というもののお話に戻ります。
当たり前のことではありますが、受験生、受験準備生に限らず、塾で国語(現代文)の授業を受けるとしたら、「点数が上がる」授業を受けたいと思われるはずです。そう考えたときに、こちらがどういう授業を考えて、実践しているのか。その一部についてお話させて頂きます。

(手順1)まずは、まっさらの文章を用意します。素材についてはフリーで構いません。接続詞が空欄になっている場合は先に埋めてしまいます。
(手順2)生徒と一緒に読んでいきます。その際、適宜問いを口頭で入れていきます。例えば小説なら「ここでAがこう言った理由は?」など。論説文であれば「ここでは二つの情報のうちどちらに重点がある?」など。
(手順3)読み終わった文章を図にしたり、要約を口頭で言ってもらったりしながら、気づいていなかったところについての補足をします。また背景知識が覚えておいて損がなければここで補足します。

もうお分かりかもしれませんが、「問いに答える能力」というのは、文章を読み進めるうえで「本当に理解できているか」と言い換えても良いのかもしれません。マンツーマン授業であれば、読み方ひとつとっても「理解できているな」とか「ここは声のトーンが変わったから、理解できていないな」ということが手に取るようにわかります。ですから、すぐに「問い」を立てます。すぐに「どこを読み落としたか」「どこが理解できていないか」を、生徒本人の意識の中に浮上させます。

こうした面倒な(?)作業を通じて、

・自分が誤読した原因

・次からより効率的に読むためのノウハウ

こうしたものを具体的に提示することができるのです。
例えば前者であれば、「筆者の言っていることとは違う例を想定し、その中で理解しようとした」「登場人物の言動が文字通りのものではなく、前後のやり取りを俯瞰する必要があった」など。

後者であれば、「固有名詞や抽象語にとらわれず、その説明の要約ができればよい」「登場人物の心情は、その前のインシデント(出来事)と後ろにある描写から導ける」などといったようなものです。

つまり、「問い」のない現代文の授業というのはないというのがわたしの結論です。それも、「登場人物は何人」であるとか、「単語の意味」であるとか、その場限りの知識を問うものではありません。「読み方・考え方のフォーマットを築く」ための問いでなければならないわけで、それには熟練した指導者の存在が不可欠です。また、たとえ少人数であったとしても集団授業では読み取れない、生徒一人一人の心情の機微を観察していなければなりません。

お読みの保護者様には、屋上屋を架すようなことになってしまったかもしれませんが、「読解力を身につける」という謳い文句をご覧になった場合は、「読解力の定義」「どのように(HOW)」までの説明がなければならない、ということを自戒を込めて申し上げておきたいと思います。

粕川優治

究進塾副代表。文系大学受験、および日大内部進学コースの責任者をしております。

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