究進塾

深掘り!講師インタビュー【第1回】面接・小論文:尾川先生③大学生活と社会人経験

尾川先生の深掘りインタビューの続きです。

 

今度は、大学生活と就職です。アナウンサーを志した理由や、その後の職業についても深掘りしていきます!

 

並木先生(塾長)
大学受験生に化学を教えています。趣味は読書と野球観戦(ベイスターズファン)、カレー食べ歩き、子どもの遊び場開拓。1児の父として子育てしていることから、最近は幼児教育にも関心を持っています。

 


尾川先生

株式会社熊本放送に総合職として勤務し、アナウンサー、ディレクターなどを経験。
その後、2003年から公務員試験、アナウンサー試験、大学受験、医学部受験などの面接、小論文の講師として活躍中です。

 
 

はじめはつらかった大学生活

 

並木:熊本大学に合格されましたけど、熊本大学を目指した理由というのは何ですか。

 

尾川:これは受験科目だけですよね。二次試験が英語と小論文というところで決めました。

 

並木:熊本には縁もゆかりもなかったんですか。

 

尾川:そうです。母方の祖父が現在の三井化学に勤めていたんですが、福岡県大牟田市での勤務が長く、祖母は大牟田出身でしたし、母も高校卒業までは大牟田にいました。大牟田市は福岡県の中では一番熊本県寄りの街ですが、祖母の親戚や母の同級生が何人か熊本にいたという程度で、熊本市内には大学受験まで行ったことがなかったです。

 

並木:以前お話を伺ったとき、入学の当初は結構ホームシックになったって。

 

尾川:ホームシックになりました。熊本弁が分からないですしね。

 

並木:熊本弁は結構使われているんですか。

 

尾川:熊本の人はめちゃめちゃ熊本弁で話しますよね。最初は本当に分からなかったです。

 

並木:大学に馴染んで、楽しくなってきたのはいつ頃ですか。

 

尾川:2年生ぐらいからじゃないですかね。1年生のときはもうとにかく嫌でしたよね。熊本は夏がすごく暑いんですよ。鼻血はブーブー出るし。「なんかもう、ここには馴染まないんじゃないかな。仮面浪人なんかしちゃおうかな」みたいな感じだったんですけど、「でもまた勉強するのもな…」とか。秋ぐらいまではそんな感じでしたよね。

 

熊本の夏

 

熊本市は、阿蘇外輪山と金峰山に囲まれた「内陸型気候」。そのため、夏は暑く冬は寒い。

猛暑日は、7月上旬~9月中旬まで続く。

 

・最高気温30℃超

・相対湿度が70%超

 

これが平年値(気象庁HP参考)という蒸し暑さが特徴。

さらに熊本市では「肥後の夕なぎ」が特徴で、夕方に辺り一帯が無風になる。

 

サークルやアルバイトは

 

並木:部活動とかサークルには入られていたんですか。

 

尾川:入らなかったんですよね。

 

並木:それは何か理由があるんでしょうか。

 

尾川:いえ、特に理由もなかったんですけど、文学部でできた友だちがほとんどサークルに入ろうとしていなかったので、私も入りませんでした。でも何か入っておけば良かったかなと思っています。

 

並木:そうすると、大学生活は何を一番、最優先事項としていたんですか。

 

尾川:文学部は勉強が大変なので、勉強せざるをえなかったですね。文学部文学科に入学したのですが、2年生になるときにコース分けがあって、希望のコースに入るには1年生のときの成績が必要なので、割と真面目に勉強していました。それで、希望していた英語英文学コースに入ることができました。

 

並木:アルバイトはしていましたか。

 

尾川:入学してすぐに家庭教師のアルバイトを始めました。家庭教師を派遣する企業に登録をして、そこからご家庭に行く形です。最初は小学生や中学生に国語や英語を教えていたのですが、途中でその企業が「キッズ英語」みたいなサービスを始めて、英語が得意な人はそちらに変わってくださいということになったので、小学生や幼稚園児のご家庭に行くようになりました。といっても、私が「dog」と言うと、子どもがカルタのように犬のカードを取るとか、その程度のお遊びみたいな感じでした。それから、幼稚園児のときにデパートのお姉さんになりたかったということもあり、熊本の百貨店のお中元やお歳暮のカウンターでアルバイトをして、「デパートのお姉さんになる」という夢も叶えました(笑)。

 

 

アナウンサー志望の理由

 

並木:社会人になるときにアナウンサーになられましたが、そこを目指そうと思ったのはいつ頃からなんですか。

 

尾川:中2のときですね。

 

並木:結構早いんですね。

 

尾川:「報道ステーション」の前身の「ニュースステーション」で小宮悦子さんを見て、こういう仕事もいいなと思ったのがきっかけです。でも中2ですし、どうやったらアナウンサーになれるのかどうかも分からなかったので、とりあえず大学に行かないとなというぐらいの気持ちでした。

 

ニュースステーション
現在、テレビ朝日系列にて(月)~(金)の夜に放送されている「報道ステーション」の前身の番組。
1985年10月~2004年3月まで放送されており、小宮悦子さんは放送開始当初から1998年3月まで出演していた。

 

並木:そうすると、大学に入ってから、その辺を具体的に考え出したんですか。

 

尾川:そうですね。大学3年生の夏休みに母校の岩国高校で翌年の教育実習をさせてもらうための面接があり、それが初めての就職活動みたいな経験でした。そのときに、将来のことを考えないといけないんだなあと思い始め、アナウンサーを目指すのであれば、その準備をしようと決めました。アナウンサーの試験では作文と面接があるので、作文の塾に行って、面接の塾に行って、みたいな今、私が教えているようなことの生徒側の経験をしました。

 

並木:なるほど。

 

尾川:その作文の塾は福岡の九州朝日放送が開講していたアナウンススクールの総合職コースです。九州朝日放送だからか、作文の先生は朝日新聞社の記者の方で、その先生に添削をしていただくんです。Z会も良かったですが、こちらの先生も良くて、そこで「具体的に」とよく言われていました。

 

並木:結構鍛えられましたか。

 

尾川:鍛えられました。Z会の赤ペン先生もよく「具体的に」と書いてくださっていたし、新聞記者の先生も「具体的に」と言っていたので、今、教えるときに私も「具体的に」と言っています。

 

並木:エピソードを具体的にってことですかね。

 

尾川:そうです。「その話を詳しくね」と言っています。それは小論文でも面接でも同様ですね。

 

並木:なるほど。

 

尾川:やっぱり自分が教えられたことを受講生にも教えているんでしょうね。それから面接対策として、熊本のワシントン外語学院という英会話学校で開講されていたCA受験クラスにも通いました。

 

 

出会えてよかった先生

 

並木:小学校から大学までで、「この先生に出会えてよかったな」っていう先生はいますか。

 

尾川:先ほどの赤ちゃんのママは高校の先生ではありましたが、勉強を教わったわけではなく、でも出会えてよかったなという方のお一人ですね。それから大学では英語英文学コースだったので、英語学と英文学を両方勉強したのですが、それぞれに先生方がお2人ずついらっしゃいました。4人の先生方それぞれにお世話になりましたが、英語学の教授でいらした伊藤弘之先生がおっしゃった「言葉そのものに意味はない。言葉はcontentsとcontextの中ではじめて意味を持つ」という教えは今も思い出すようにしています。

 

並木:そうですか。

 

尾川:アナウンサーになると「日本語のプロだから」と教育されますし、今、教えている小論文も言葉そのものなので、伊藤先生の教えは大事にしています。

 

並木:赤ちゃんのママには遊んでもらったりしていたんですか。

 

尾川:いえ。うちに赤ちゃんを預けているだけなので、たまに食事をうちで一緒にしたり、週末に赤ちゃんの家に行って、ママと話したりですね。赤ちゃんのパパは英語の先生でしたので、発音を教えていただいたことはあります。そうそう、小論文講師になったあとで、たまたまパパが勤務されていた高校に講演に行ったことがあるのですが、パパから「良かった」と誉められました(笑)。

 

並木:どっちかっていうと、赤ちゃんのママの印象に残っているっていうのは、やっぱり字とか。

 

尾川:そうですね。字もそうですし、佇まいとか、ピアノとか。当時、赤ちゃんのママだから30歳ぐらいでいらっしゃったのでしょうが、素敵でしたよね。あとは勉強を教えてくれるだけでなく、河合塾の楽しさも教えてくれた真理ちゃんですね。

 

並木:ちょっと年上のおねえさん、という感じで。

 

尾川:真理ちゃんは6歳上なのですが、高校は3年ごとに先生方が入れ替わるので、真理ちゃんとは習っていた先生方が結構同じなんです。

 

並木:その辺の話も聞けたんですね。

 

尾川:そうなんです。今、真理ちゃんも岩国市で教える仕事をしているんですよ。

 

並木:それは面白いですね。

 

 

役立つアナウンサー経験

 

並木:アナウンサー時代のことで、今に役立っていることっていうのは結構ありますか。

 

尾川:ありますね。健康管理とか、時間を守るとかもそうですし、発音や発声もそうですよね。

 

並木:やっぱり健康管理っていうのは大事になりますよね。なかなか体調を崩せない仕事ですしね。

 

尾川:穴を開けられない仕事なので、それは良かったですね。このあいだ、粕川先生たちにドン引きされたんですけど(笑)、昨年度は高校で講演する仕事を190回以上したんですが、1回も休んだことがないですし、これまでも1回も欠席がありません。

 

並木:すごい!

 

尾川:すごいんですよ(笑)。この塾も休んだことがないし、新型コロナウイルスにもインフルエンザにも感染したことがありません。

 

並木:へえー。

 

尾川:非常に元気ということで。

 

並木:すごいですね。運動は結構されているんですか。

 

尾川:いえ、全然。一応ジムの会員にはなったんですけど、忙しいので、全く行っていないですね。前はたまに泳ぎに行ったりとか、走ったりとかしていたんですけど、今は全然。たくさん仕事をいただいているので。

 

 

並木:すごいですね。秘訣は何ですか。

 

尾川:ないと思います、何にも。

 

並木:昔から風邪を引きにくいですか。

 

尾川:いや、そんなことはないと思います。人並みに引いていました。大人になってから、いえ30歳を過ぎてから異常に元気です(笑)。

 

並木:それはすごいですね。

 

尾川:それから、アナウンサーは仕事を選べないんです。「この仕事はやりたい」とか「この人にはインタビューしたくない」とか、そんなことは一切できないですよね。会社の仕事ですしね。だから、塾の講師としても「この生徒さんはナシです」っていうようなことは言わないですよね。

 

並木:そうですね。それは有り難いです。

 

尾川:アナウンサーは一人でカメラの前に立ちますが、その後ろには大勢の人がいて、それをスポンサードしてくれるスポンサー、広告代理店の方々などなどがいるし、放送はとにかく色々な人が働いている労働集約型の産業なんです。そのため、チームワークが大事ですし、「これは誰かに頼らなきゃ何もできない」という気持ちも必要です。講師業も教えるときは一人ですが、後ろにほかの先生方もいらっしゃいますよね。そういう意識を持てたのは放送局で働いたからではないかと思います。

 

 

教える仕事のきっかけ

 

並木:次の質問は「教える仕事について」なんですけれども、これを始められたのはいつ頃からになりますか。

 

尾川:教える仕事自体は放送局を辞めてからなので、2002年からですね。最初は高校の教員をしました。教員免許を持っている人が登録できる人材派遣会社があり、そちらからのご紹介で、大阪産業大学附属高校で英語の非常勤講師になりました。

 

並木:大阪はどのぐらいいたんですか。

 

尾川:大阪は2002年から2011年3月までです。

 

並木:じゃあ、10年近くいたんですね。

 

尾川:そうなんですよ。妹が大阪に住んでいたので、私も大阪に行って、講師業を始めました。妹はCAだったのですが、2004年に関空から成田に転勤になったんです。私はもう大阪で仕事の基盤ができていたので、大阪に残りました。高校の教員の仕事は契約期間があったので、4カ月で辞めたのですが、2003年からアナウンサーを目指す大学生にアナウンスメントを教えたり、就職活動のサポートをする専門学校の講師になりました。早稲田セミナーという専門学校で、今はTACになったところです。早稲田セミナーは大きな専門学校なので、「アナウンサー講座」のほかに「公務員講座」もあり、そこで「現代文や英文の読解をする文章理解という科目があるから、それを教えませんか」とお誘いいただいて、文章理解を教えるうちに「論文や面接もお願いします」ということになりました。

 

 

 

東京に来るきっかけ

 

並木:ちなみに、東京に来るきっかけは何かあったんですか。

 

尾川:結婚です。

 

並木:大阪で仕事されているときに知り合って?

 

尾川:そうです。大阪にいるときに東京で働いている人と知り合ったので、2011年に東京に来ました。

 

 

関西で得た試験対策の知識

 

並木:ちなみに大阪はどうでした?暮らしやすかったですか。

 

尾川:面白かったですけど、でも大阪弁も最初は馴染めませんでしたね(笑)。

 

並木:究進塾にお問い合わせしてくる方だけで言うと、本当に押しが強くて。暮らしていても感じました?

 

尾川:関西人は金銭面にシビアな方々とは言われますね。ただ私は講師ですし、受講料とかの相談に乗るわけではないから、そのあたりは大丈夫でした。関西人は話が面白いですよね。

 

並木:そうですね。

 

尾川:講師仲間もそのときにできました。公務員試験の科目で言うと、数的処理や経済学、法律学の先生方と仲良くなれたのは良かったです。

 

並木:皆さん、関西の出身ですか?

 

尾川:関西の方が多いですが、大学だけ東京とか、大学から関西という方もいらっしゃいました。放送局も優秀な人が多いのですが、公務員講座の先生方も優秀な方が多くて、本当に勉強になりました。

 

並木:なるほど。

 

尾川:公務員試験の面接対策は今は一人でしていますが、早稲田セミナーの面接対策では講師が2人で模擬面接をしていました。そのときに「こんな質問をするんだ」「こういう答え方をしてきた人にはこういうフィードバックをするんだ」というのを横で見られたことは今も活かされています。特に都市銀行の人事部出身で、経済学の先生をしていた方のフィードバックは参考になりました。この先生だけでなく、経済学の先生方のものの見方や論理的な表現力は勉強になりましたし、私も経済原論の勉強を始めて、先生方に教わったりしました。

 

並木:それは確かに貴重な経験ですね。

 

尾川:講師仲間に裁判所事務官の面接官だった方もいらっしゃいました。その先生は今は弁護士さんなんですが、当時はロースクール生だったので、学業の傍ら、早稲田セミナーで講師をされていたんですね。その先生も素晴らしくて、公務員試験の面接はコンピテンシー型だということはその先生から教わりましたし、今、究進塾で使っているレジュメもその先生が作ってくださったものを参考にしています。

 

並木:そうですか。

 

尾川:たまに「先生は公務員試験の面接を分かっているのか」と聞かれることがありますが、その先生に教わったことを実践している正統派だと言いたいです(笑)。

 

 

 

教えに向いていると感じたのは

 

並木:教えることが向いているなと思ったのは。

 

尾川:大学4年生のときに母校の岩国高校で2週間の教育実習をしたのですが、そのときに結構良い評価をいただいたので、向いているのかなと思いました。当時、既に就職活動を始めていたので、人前で話すことに慣れていたのかもしれませんが、教育実習での評価は自信になりました。

 

並木:今、またさらにご指導の経験を積まれていると思うんですけど、教え始めたときと比べて、何かご自身で変化や成長を感じられる部分っていうのはありますか。

 

尾川:受講生に対して、「こういうやり方は」「こういう考え方は」という提案できる内容が増えてきました。講師を始めた頃は受講生ができない原因もよく分からなかったりしましたが、今はそれがかなり分かっていますし、「こういうことでつまづいたのかな」「こういうことで悩んでいるのかな」という、ビッグデータまではいきませんが、ある程度のデータのような経験値が増えてきたように思います。

 

 

教える中でのやりがい

 

並木:今、指導をしていて、一番大切にしていることは何ですか。

 

尾川:受講生の可能性をしっかり見つけていくことです。

 

並木:この仕事で、教えていてやりがいを感じるのは何ですか。

 

尾川:やっぱり合格ですよね。志望校に受かったり、希望している就職先に合格や内定をいただくなど、受講生が満足したときが一番嬉しいです。残念ながらご縁がなかったときも受講生が「これができるようになった」と結果に満足していれば、私も嬉しいですし、少し安心します。それから大学受験のときに来た受講生が就職活動のときにまた来てくれるのも嬉しいですよね。受験や就職活動といった人生の節目になるところで小論文やエントリーシートなどの「書くこと」と面接で「話すこと」が求められるわけで、そこに携われる仕事ができていることは有り難いです。

 

 

教えに役立っている経験やスキル

 

並木:今、教える仕事に、直接的ではなくても間接的に役立っていると思う経験やスキルっていうのは何ですか。

 

尾川:アナウンサー経験は大きいですね。本番に向けての準備に関しては部活動や習い事でも得たことですが、本番で力を発揮する、パフォーマンスを上げるための準備の大切さはアナウンサーになって良かったことの一つです。スキルに関しても、課題文を読んで聞かせること、プレゼンテーションを指導すること、面接での分かりやすい話の仕方を指導することはアナウンサー時代に教わったことをそのまま伝えています。

 

並木:なるほど。

 

 


 

究進塾 編集部


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