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またネット記事をネタにしている、と思われるかもしれませんが、比較的生徒様にも近しい話題であろうことから、このお話もしておきたいと思います。
〈挨拶ってする?しない?〉「職場で極力、人とは話したくないので…」Z世代の挨拶事情を調査。小学校教員は「最近は保護者でも挨拶を返さない人が増えた」
私個人は教育業(広義のサービス業)に属する人間ですので、個人的な立場としては「挨拶不要」というわけにはいかないと考えています。
というのも挨拶は大げさに言えばアイスブレイク(初めて会った相手に対して緊張をほぐすことでコミュニケーションを円滑に進めるためのもの)でもあり、もっとありていに言えば「第一印象」に関わる、「信用を左右する」ことだからです。
ではプライベートの場面ではどうなのか、と言われますと、やはり挨拶はしますし、返します。これは、接する相手が(自分の年齢とともに)年齢層の高い場合が多くなってきているということと、やはりアイスブレイクに近い使い方なのだと考えています。
しかし今回ネットをざわつかせた「挨拶不要論」は私のようなおっさんというより、もっと若い世代、生徒様が属する世代のお話でした。
前にマルハラのお話をしたときにも申し上げた通りですが、「極端な例を一般的なものに無理やりおし広げている」という印象は今回もあります。実際に、あまり挨拶をスルーされることもありませんし、第三者として学生の皆さんのやり取りを見ていても、「おう」とか「うぇーい」というものであっても、挨拶らしいものを交わす場面の方が多いのです。
ただまあ、今回はネットのほうも「おっさんのほうが挨拶せんではないか」とか、「生産性に寄与せんではないか」など、マルハラのときよりも若干ですがいろんな切り口からの意見があり面白かったというのも事実でした。また想定されている場面としても「年長者と若者」ということにほぼ限定されていましたね。
さて、若い世代の皆さんへお伝えするとしたら、これまでになされた議論とあまりかわり映えしない意見にはなるかもしれませんが、挨拶は「できるようにしておきたい」と考えております。
というのも、「世の中にはいろいろな人がいるから」である、という理由です。
もちろん、「挨拶はしないようにしようね!」というコミュニティに属するのであれば、しなくともよいかもしれません。
しかし、人間は属するコミュニティを選択できるようには(ふつうは)できていません。またコミュニティ一つとっても、職場だったり、学校だったりと様々ですが、その中には本当に「いろいろな人」がいます。
そう考えたときに、「挨拶をしない」姿勢によるリスクと、「挨拶をする」姿勢によるリスクを比較衡量していただきたいのです。
これは体感なのかもしれませんが、「挨拶をする」姿勢によるリスクは軽微で、「挨拶をしない」姿勢によるリスクよりもかなり小さなもので済むように思っています。
要は「損をしないための立ち振る舞い方」についてのお話だとも言えますが、「挨拶をする」ことによる「労力」はいかほどでしょう。正直、大したことはないのではないかと思います。「大した労力がかからないのであれば、した方がよい」という、あまり教訓めいた結論ではありませんが、そういうものだと考えています。
「なぜ挨拶が必要なのですか?」という問いに対して「うるさい、挨拶はするもんだと決まっている」という結論よりは、「生産性のある」結論としてまとめられたのではない…でしょう…か…
何にせよこの夏のように暑い時などは、みんないらいらしています。そして余裕もないものです。
そんな時、「この件ですが…」と言われるより、「こんにちは。今日は暑いですね。ところでこの件ですが…」と言われた方が、余裕のない私のような小さな人間には好ましく思える、という点も述べておきたいと思います。
<余談>
また、総合型選抜など、入試で面接が課されるような場合も多くなってきています。こういうときは「挨拶しないと落ちます」というのを忘れずに申し添えておきます。
粕川優治 究進塾副代表。文系大学受験、および日大内部進学コースの責任者をしております。 |