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こんにちは。究進塾 編集部です。
今回は、「キャリアや将来について一緒に考える」イベントの内容の続きです。
いよいよ、先生方のトークに入っていきます。
まずは、先生方に事前に質問をお渡しし、そちらに答えていただきました。
お話されている先生
尾川先生:究進塾講師。担当は論文・面接対策。元アナウンサー
塚田先生:元究進塾講師。専門は経済学
A先生:弁護士
B先生:心理カウンセラー
並木:究進塾代表
粕川:究進塾副代表
(以下、敬称略)
粕川
前半は、先生方お1人お1人に、「先生方がどういうお子さんだったのか」というところをお聞きしたいと思います。
普通の学習塾だと、やっぱりこれだけの面子は揃えられないだろうと、正直言ってそれは私はすごい誇りに思っておりますけれども、そんな先生方も昔はもちろん、昔って言うと失礼ですけど、お子様だったわけですよ。
皆さんと同じ立場を経験して今のお姿になられているので、そこをちょっと掘り下げるのは大事かなと思っておりましたので、いくつかちょっとご質問させていただきました。
Q. どういう子どもでしたか?
粕川
事前に質問を4つお願いしています。
1つ目は「先生方は、学生時代含め、どういうお子さんでしたか」という質問です。
A
私、この質問に対して、高校ぐらいまでのことを念頭に置いてあったんですけど、ずっと音楽やってたんですよ、バンドで。
まあ、ほぼそれしかやってなかったんですね。高3の夏ぐらいに正気に戻って、何とか社会人になりました。
本当に、このような場で喋るのは不適当な人間じゃないかと思うんですけど、そんな感じでした。
粕川
学校の成績とか、どんなふうだったんですか。
A
英語と数学だけが得意だったんですよね。だからそこの成績は良かったんですけど、それ以外はもう…。
化学とか本当に周期表で嫌になったんで。「molってなんやねん」みたいな感じで。本当に壊滅的でしたね、特に化学は。
なぜか物理はできたんですけどね。不思議ですよね。
粕川
なんか面白いですよね。
A
暗記が嫌いだったんですね。
粕川
すごい意外な気がする。
尾川
ね。
塚田
それみんな思ってます。
粕川
B先生はいかがでしょうか?
B
個人的には心理とちょっと関係するかなと思ってるんですけど、結構、天邪鬼っていうか。
教科書に書いてあることとか、みんながいいって思ってることが、あんまり好きになれないような感じで。
心理学っていうのも、天邪鬼だったり、わき道にそれたりする時の心の動きを見つめられるものなので。
粕川
脇道に逸れているというのは、差し支えなければどんな脇道だったかとかありますか。答えていただける範囲で。
B
そうですね。と言っても進路というか、全然何をするかとかも決まってないまま、とりあえず大学に入り、みたいな感じだったので。
「やりたいことを決めてやっていく」っていう感じではないですね。あっち行ったり、こっち行ったりみたいな。そんな感じです。
粕川
ありがとうございます。尾川先生はどうでしょうか。
尾川
性格的にはのんびりもしていたし、一方ですごく狭いところで「誰かには負けたくない」というような気持ちを持っていたような気がします。
私は、山口県岩国市というところの出身で、高校卒業まで岩国市にいました。岩国市は人口も14万人ぐらいの小さな町なので、皆が知り合いみたいなところだったんですね。
だから「負けたくない」と思っていても、私の周囲の世界はとても狭かったです。
勉強に関しては、苦手というほど苦手ではなく、超得意かと言われたらそうでもなく、そこそこの成績は取っていたかなというぐらいです。
ただ本を読むことが好きで、国語も英語も好きだったので、高校1年生の終わりぐらいには文学部に行きたいなと思うようになっていました。
粕川
ありがとうございます。塚田先生、お願いいたします。
塚田
僕は中学、高校の頃はもう全然勉強していなくて。
「自頭は他の人よりいいぞ」と、なんかそういう自負はあったんですけど、全然勉強しなくて。多分、他の人と比べても、同じクラスの中で比べたりすると、全然トップ1じゃなくて、真ん中ぐらいか真ん中より低い可能性もあったぐらいで。
そもそも友達いなかったから、人と比べたりしなかったんですけど。
全然勉強してなくて、成績が良くなかったんですが、一浪したんですよ。皆さんの中にも一浪してる人はいると思うんですけど。
浪人して、一念発起して、自分で勉強を始めて、そこから大学に合格できるようになったっていう感じで。
何が言いたいかっていうと、
「他の人と比べないで、自分自身で、できる限り、その場その場でやれることをやるってことをしてくと、殻を破って、より上の段階にステップアップできるんじゃないか」
っていうことを、ずっと思っている人生だったっていう感じですね。
友達がいると、やっぱり友達の目とか親の目とかで「お前はこのぐらいのレベルなんだ」っていうふうに決められちゃうと、多分そこで満足しちゃうと思うんですけど、そういう目線を外して、
「自分の中で、今できることってなんだろう」
って考えて勉強していくと、殻を破って上の段階にステップアップできる、っていうのが、高校生の頃もあったし、大学生の頃もあったし、今でもあるので、そういうのが伝えられたらな、というふうに思います。
粕川
いかがでしょうか?本当に皆さんそれぞれの人生を送られていますよね。
失礼な言い方かもしれないですけど、必ずしもずっとエリートだったっていうこともなく、本当に、やっぱり皆さんそれぞれ苦労して、今のお仕事に就かれている、というところです。
だから、今の成績なんかはもう気にしなくていいってことですね。それは皆さん、ぜひわかってください。
Q.職業選択はいつ頃考え始めましたか?
粕川
次は、
仕事・職業選択についてはいつぐらいから考え始められたのか
いつ頃その職業を決定されたのか
というところを、お願いいたします。
A
厳密に言うと、多分、司法試験に受かった後です。「受かっちゃったから仕方ねえか」みたいな感じで、というのはあります。
私、学生のときすごく景気が悪かったんですよ。ちょうど政権交代が起こる前くらいで。
で、何となくロースクールへ行って、2年たって、なんか司法試験を受けなきゃいけないわけですよ。それでなんかわかんないけど受かっちゃったから司法修習いくか、みたいな感じで流れて、今に至ってる感じです。
粕川
ロースクールに行かれたきっかけというのは、何かあったんですか。
A
特になりたい職業がなかったっていうのと、友達が大体、ロースクールに行く人が多かったので、何となく流れに乗って行きました。
粕川
ありがとうございます。B先生、お願いします。
B
私は、広く学問とか学ぶことに、関心があったというか、好きだったので。
大学に入って、私の通った大学は、入学してから選考を決めるような大学だったので、結構色々な…それこそ文理とかも関係なく、色々な教養の講義を受けたりしつつ、いろいろ勉強してました。
それで、心理学が面白いなと思い始めて。
心理学も、その中にも結構色々な分野があるので。
カウンセリングに関するものもありますし、人を機械みたいなふうにみなす、人工知能とかと関連するような分野もありますし、結構いろいろあって。
ということで、大学に入ってから心理学に決めて「もうちょっと心理に関わることやりたいな」と思って、そのまま院に進学したっていう感じです。
粕川
ありがとうございます。尾川先生、お願いします。
尾川
最初に職業というものを意識したのは、幼稚園のときですね。
私は岩国市の出身なんですけど、買い物に行くとなると広島なので、「広島そごう」というデパートのお姉さんにものすごく憧れて、「こういう仕事がいい」みたいな直感があったのが、職業というものを初めて意識したときだと思います。
そのときは母から猛烈な反対に遭い、すぐに終わった夢なのですが、大学生のときに熊本のデパートでアルバイトをして、これで半分夢を叶えたかのように思えました。
それから真面目に考えたのは中学生になってからです。
中学1年生のときに実家でたまたま待機児童をお預かりする機会がありました。当時も待機児童はいたんですね。保育所に入れなくてキャンセル待ちになっているその待機児童の赤ちゃんを保育所に空きが出るまで、私の母がお預かりすることになったんです。
母は保育士でも何でもなく、ただの近所のおばちゃんなんですけど、たまたま預かることになりました。赤ちゃんは私が登校したあとに来ますし、私が部活動を終えて帰宅したときにはすでに帰っていましたので、その赤ちゃんの思い出はほとんどありません。
でも赤ちゃんのお母さんとの思い出がたくさんあります。そのお母さんは高校の国語の先生で、お顔も綺麗でしたが、国語の先生なら当然かもしれないんですけど、ものすごく字と文が上手でした。その頃はメールはないから、お葉書とかカードとかをくださるんですけど、そのカードもものすごく綺麗で「ああ、こういう字を書いて、こういう文を書いて、こんなカードが書けるような人になりたいなあ」と思いました。
それから中2のときに「ニュースステーション」が始まりました。今は「報道ステーション」になっていますが、その前身は「ニュースステーション」だったんですよね。その「ニュースステーション」が始まって、小宮悦子さんという方がニュースを読んでいて、「この仕事いいな」と思いました。
今は「ZERO」などのお洒落なニュース番組がいっぱいありますけれども、「ニュースステーション」は当時、本当に画期的でした。
それまでニュースというと暗くて、地味で、わかりにくくてというような、ちょっとダサい(笑)番組だったんですね。でもそこから一気にスタジオも華やかになってショーアップされました。久米宏さんという方が司会だったんですが、「中学生には難しいかもしれないけど、もうちょっと頑張って」という声掛けもあったりして、リアルな中学生だった私は「ああ、こんなふうにテレビの人が励ましてくれるっていうのはいいな」と思いました。
そのときには小宮悦子さんがテレビ朝日の社員なのだとか、アナウンサーなのだとか、そういうことは全然わからなかったけれども、とりあえず「ニュースを伝える仕事」に憧れました。
後からわかったことですが、女性がニュースを初めて読んだのは1979年とか1980年と言われているんですね。それまでの女性アナウンサーは天気予報を読むとか、季節のお知らせを読むとか、そういうことしか任されてなくて、「政治や経済のニュースは男性が読む」という時代がずっと続いていたんです。
ニュースステーションが始まったのは1985年なので、本当に草分けの頃だったのだと思います。
それで、その次の年の1986年、私が中3だったときに「男女雇用機会均等法」という法律が施行されました。それまでは、女性が男性と同じように働こうと思ったら、研究者になるとか、学校の先生や弁護士さんになるとか、医師や美容師さんのような国家試験を受けてからなる仕事しか、女性と男性が対等に働ける仕事はありませんでした。
企業に入ろうと思ったら、女性は「一般職」って言われるような仕事しかなかったのですが、その法律ができてからは女性も男性と同じように会議に出たり、出張に行ったり、出世したりというようなことができるようになりました。
そしたら母が、
「これからの女の子は、男の子と同じだけチャンスがもらえるようになる。でもそのチャンスをどう生かすかっていうのは女の子次第なんだ」
というようなことを言ってくれて。そこから「じゃあ男の子と同じように勉強すると、男の子と同じような未来があるんだな」と思ったのがその中3のときですね。
ということで、
・高校の先生
・アナウンサー
・男性と同じように働く総合職
というのを決めきれないまま、大学生になりました。
そして大学3年生になって、いよいよその3つから1つに絞らないといけないというときに、年齢制限が一番厳しかったアナウンサーを受験することにしました。
これはルッキズムにも関係するので良くないことだと思いますし、今は年齢制限も伸びていますが、当時の熊本放送は24歳までしか受験できなかったんですね。
とすると、2年の浪人や留年が限界です。
私としては大学院に行くとか、留学するとか、色々な希望もあったのですが、そういうことは諦め、とにかくアナウンサー受験をすることにしました。「1回目で受からなきゃ」みたいに思って、焦っていましたね。それからアナウンサー用の作文の塾と面接の塾に行きました。これは今、私がしているようなことですが、それでアナウンサーになれました。
粕川
ありがとうございました。皆さん、ルッキズムは知ってます?
塚田
わかるんじゃないですか。
尾川
今ね、色々な問題になっていますもんね。
粕川
問題になってますよね。
Looks(見た目、容姿)+ ism(主義)を合わせたことばで、「外見至上主義」などと訳されています。具体的には、見た目で人を判断したり、容姿を理由に差別したりすることです。 今、国内外でルッキズムを見直そうという動きが広がっていて、イギリスなどでは、障害のある人や顔にあざがある人たちなどがモデルとして活躍し始めています。 日本でも、大学祭の恒例イベントとなっていた「ミスコン」を見直したり、履歴書の写真欄の削除を国に求めたりする動きも出てきています。 (NHK「「ルッキズム」って? “見た目”で悩む人に、今知ってほしいこと」より引用) |
粕川
では塚田先生、お願いします。
塚田
僕はですね、職業選択を明確にしたことってあんまり、ずっとなくて。
結構ダラダラきてはいるんですけど、経済学を勉強しようって思ったのは、高校生の3年生とか浪人してるぐらいの頃です。
筑波大学の第Ⅲ学群の「社会工学類」っていうところを卒業しました。
これよく意味がわかんない名前なんですけど、経営工学、都市計画とかをやる学部で、数学と社会科学を混ぜた学部みたいなやつなんですよ。筑波大学以外にも、東工大とか、私立でも早稲田とかにもあるかな…わかんないけど。そういう学部でですね。
その中で「経済学を数学的に分析する」っていうのを始めて、それが楽しくて勉強を続けてたら、大学院へ行くことになりました。で、東京大学の経済研究会に入って、そのあと博士課程に行くわけですけど。
その都度その都度、「他のやつよりできるな」と思って行ってはいるんですけど、博士課程のときに挫折してっていうか、あんまりうまくいかなくて。
東大の経済研究科に来るやつなんか、日本全国のめちゃめちゃ優秀なやつが来るので、そいつらが海外に留学していく中、僕はずっと全然勉強できなかったんで。英語がすごい苦手なんですよ。
経済学と数学は大学入ってからでも何とかなるんだけど、英語は全然勉強してなかったから、留学するっていうモチベーションもあんまり他の人より強くなくて、東京の東大の博士課程でずっといたんですけど。
東大の博士課程に行っても、うまくいく人はいるんですけど、大体の人は結構挫折しちゃう人が多いんです。全然芽が出なくて、ドロップアウトしちゃうんですね。僕自身も全然芽が出なくて、もうほとんどドロップアウトしかけて。
そんなときに、塾の先生とか究進塾に拾われたってのもありますし、あとはTAC、公務員の試験の先生とかもしばらくしていました。
そういう経済学の「これまで勉強してきたことを生かして金稼げる手段もあるから、何とかなるかな」って思ってたら、昔の指導教官の先生が声をかけてくれて、「また大学に戻るポストが出てきたよ」っていうので。
まあ、何だろうな…博士課程でちょっと、精神的にも体力的にも少し沈んでいたんですけど、その中で頑張ってたことを見てくれていた人がいて、声をかけてもらって、また研究職が仕事にできるようになってきたなっていう感じです。
職業選択をバチッとしたつもりはあんまりなくて、ずっと、その場その場で、できる限りのことをしていって。
良くなかったときもあるんですけど、今に至るという感じです。
粕川
こちらのお話も、本当に、先生方で全然違うので。
皆さんも、いいんですよ。迷いながらでいいというか。全然それでいいんです。
決められないときは無理に決めなくてもいいですし。頑張りましょうね。
Q. 職業選択に関して影響を受けたことは何ですか?
粕川
僕、個人的な興味もあって聞いてみたかったんですけど、
「職業選択に関して、一番影響を受けた人、出来事、本や色々なメディアがあると思うんですけど、もしそういうものがあれば、ぜひ教えてください」
ということで質問させていただいております。では、A先生からお願いします。
A
影響を受けた“人”っていうか…。
大学って固定席がないんですよね。皆さんご存知かと思うんですけど。で、教科書のこういう本を何冊も持ってなきゃいけなくて、クソ重いんですよ。で、司法試験を受ける団体みたいなのが、あるんですよ。それに入ると、学内に固定席をもらえるんですよ。そうするとこういうの持ち歩かなくていいんですよね。
友達もみんな何か受けてたんで、たまたま仲良くなった人が教えてくれて。
私は地方から出てきたんで東京のこと何もわからずに来て、友達もいない状態だったんです。そういうのもあって、そういう団体に入ったっていうのが、多分出来事としては大きかったのかな、今考えると。
あとは法律の勉強が、途中から割と面白かった部分もある…面白くない科目とかもあるんですけどね。民訴とか…そういうのは、私は本当に面白くなかったんですけど、
この本が面白かったんですよね。
井田良(いだ まこと)先生が書いた『刑法総論の理論構造』っていう本です。
これもうあんまり売ってないのであれなんですけど。これが面白くて「法律やるか、勉強しようかな」って思ったっていうのが、大きかったんですね。
あと、強いて言うと私、勉強始めてから法律や法学に向いてると思ったこと1回もなくてですね。ゼミの先生に相談したんですよ。
「私、なんか・・・ロースクールとか行くんですけど、法学全く向いてないみたいと思うんですよね」
って言ったら、その先生に
「向いてる人は、ほぼいないんで、大丈夫です」
って言われて「あっそうか」と思って、そのまま続けることができたっていうのが。
多分その3つぐらいですかね。
粕川
ありがとうございます。
本って1日にどのくらい、何冊ぐらい持ち歩くんですか。
A
その日入れてる授業の数によるんじゃないですかね。
粕川
最大でどれくらい・・・。
A
これでも薄い方だと思います。今はもっと薄い教科書あるんですけど、何ページだ・・・460か。
私一番知ってる中で一番厚い本って、江頭憲治郎って人が書いた『株式会社法』っていう本があるんですけど、それ1000ページ超えてるので「鈍器のような」って言われたんですけど。
そういうのを例えば、3科目とかあると、3~4冊とか持っていかなきゃいけなかったんですよね。
あとそれにプラスで『六法』ですね。
今はタブレットとかで条文が見れるので良いですけど、私が学部のときってほぼガラケーみたいな感じだったので、パソコンは持っていけるけど通信はできないみたいな状況だったんで『六法』も持ってかなきゃいけなかったんですよね。
六法も『ポケット六法』っていう、ポケットに入らない六法というのがあるんですけど。
それって学習用の一番薄いやつでも、結構な・・・帰りに本屋とか行って見てもらえばいいんですけど、「こんなの持ち歩きたくないな」って思う本があるんですよ。
で、『判例付き六法』っていうのがあるんですけど。
「判例」って言ってわかりますかね。最高裁判所、半蔵門の方にあるんですけど、そこのなんかおじいちゃんとかおばあちゃんとかが裁判で判断を示すわけですよ。「これはこう」って。それが載ってる六法というのがあるんですけど、それは当然、条文以外も載っているので、余計分厚くなる傾向にあってですね。とにかく重い。
他の科目や学部がどういう教科書を使ってるのかは知らないんですが。医学部は大変そうでしたけど。
ただ、司法試験に受かったあたりで、石井安憲先生・永田良先生・若田部昌澄先生が3人で書いた『経済学入門』という本を読んでたんですね。
それも結構分厚かったので、多分どの科目も学部も、そんなもんだとは思うんですけど。
粕川
ありがとうございました。B先生、お願いいたします。
B
私は、この質問はいろいろ考えてたんですけど、最も影響を受けた出来事とか、人とか、あんまり思い浮かばなくて。
多分何かいろんなことが重なってるのかなと思ったんですが。
強いて、ちょっと思いつくところとしては、やっぱり大学生ぐらいのときとか。
あとは私も職業をいつの時点で決定したっていうふうにはっきりとは思えないので、だんだん固まっていったみたいな感じです。
大学生のときとか大学院生のときとかに、いろんな立場の人とか、いろんな背景のある人たちと出会ったりして。
それこそ何か事情を抱えていたり、病気を抱えていたりとか、あと研究にすごく関心があって邁進していたり、一般の会社で勤めてる方だったり、全くそういう職業もなく、ステータス的には無職っていう方だったり。
いろんな生き方、いろんな生きざまがあるんだなっていうのに出会ったのが、単純に…なんだろうな。「なんか生きていくのって、尊いな」というか、そういう感じがあったのが一番です。
あと心理学に一番興味を持つきっかけになったのは、これですかね。
この本は『人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか』っていう、社会心理学の古典です。
「社会心理学」っていうのは、社会の中、集団の中で人がどう行為するかっていうことを研究する、心理学の分野です。
これは、人の主観がどれだけ、状況とか、その人の考え方とかに依存するかっていうことを示した本で、あんまりこういうのは好きじゃない人もいると思うんですけど、
「超常現象を感じている人とかの感覚が、何で生まれてくるのか」
っていうのを、「どんな状況が関係しているか」とか、そういうことを心理学的に調べてるものなんですけど、これはやっぱり結構衝撃的だったというか。
「人の主観、内面は、客観的な事実とはまた違った世界が広がってるんだな」っていう。
心の中の深さというか豊かさというのに触れたり、また単純に、その研究の手法もすごく面白いなと思ったのがあります。
心理学にも関心はあったし、人が生きるっていうことにも関心があったし。…という、すごいざっくりしているんですけど、そういう感じです。
粕川
ありがとうございます。尾川先生、お願いいたします。
尾川
先ほどの話とかぶりますが、やっぱり大きく影響を受けたのは中学1年生のときにうちで預かっていた赤ちゃんのお母さんが高校の国語の先生だったことです。そのお母さんの素敵さですね。
字が綺麗なことと文章が上手なことに憧れを持ち、「こういう女性になりたいな」という最初のロールモデルになりました。もしそのお母さんが高校の国語の先生ではなかったら、また私も違う職業を目指していたのかもしれないですね。
そして中学2年生のときに始まった「ニュースステーション」でニュースを読んでいた小宮悦子さんです。小宮さんのニュースを読んでいる姿にも憧れを持ちました。
ただ、アナウンサーを目指すにあたって「この本を読んだ」という本はなかったです。
大学の専攻は英語学と英文学でしたし、アナウンサーは「国語」=日本語の仕事なので、そこは直結していません。
ただ自分のキャリアの中で、日本語っぽいところと英語っぽいところを行き来してきたのは確かなことで、それはそれで面白かったかなと思っています。
粕川
ありがとうございます。塚田先生、お願いいたします。
塚田
職業選択に際してかどうかわからないですけど、経済学を勉強するに至った理由は、高校生の頃とかに結構ネットとかすごいやってて。
2ちゃんねるっていうのがめちゃめちゃ流行ってた時期なんですよ。今5ちゃんねるですけど。
2ちゃんねるで、論敵とバトルするわけですよ。議論というか。で、相手に論破されたくないと。自分が論破するっていうときに、何が一番学問として最強かなって思ったときに、経済学が最強かなっていうふうにそのとき思って。それで経済がやりたいなっていうふうに思ったっていうのは。半分ギャグなんですけど。
それで、浪人中に筑波大学を目指すっていうことに至った理由の1つとして、その筑波大学にいる先生の本、金子 守(かねこ まもる)先生の『ゲーム理論と蒟蒻問答』っていう本があって。
別におすすめじゃないんですけど。
自分が行きたいと思ってる大学の先生の本を読んで、そこでの研究活動とか議論に面白みを感じて。
別に筑波大学をめちゃめちゃ志望してたわけじゃないっていうか。結局、自分の行ける範囲でしか選べないので。東大まで行けるような学力があったら、東大に行ってたと思うんですけど。
僕は、高校生の頃は全然勉強できなかったんで。
埼玉にいて、埼玉の公立高校の中間ぐらいの公立高校にいて。自分のレベルの最大と思える埼玉大学を現役のときに受けるんですけど、落ちちゃうんですよ、普通に。
そんなに学力が良くなかったんですけど、その後、浪人のときに勉強して、その中で「自分が行ける範囲の大学の中でも、どこに行きたいか」っていうのを、自分の中でストーリーを作るっていうか。
筑波大学の第Ⅲ学類の社会工学って、ちょっと珍しいじゃないですか。普通の経済学じゃなくて、数学と社会科学を結びつける学部なんて。
ちょっと珍しいっていうことの面白さと、そこでの先生の書いた本を読んで、「この先生につきたいな」って思って、自分の中でそこに行くっていう理由を作っていく。
それは別に、筑波がいいって言ってるわけじゃないんですよ。別にそれは人それぞれで。九州にいたら九大かもしれないし、北海道にいたら函館未来大学かもしれないし、高崎経済大学かもしれないし。別にどこでもいいんですけど。
自分の行ける範囲の中で「自分がこういうところに行ったら、面白くなるだろうな」っていう未来像を作るためにも、そこにいる先生の本を読んでみて「こういう研究ができるんだ」って考えたりするっていうのは、いいきっかけだったかなと思ってます。
それとあとは、大学に入ってからはもうめちゃくちゃ先生とコミュニケーションをとってて、それが、私がその大学に残ったり、研究職に就くっていうことに至った理由の1つだと思ってて。
大学ではオフィスアワーっていうのがあって、大学の先生が週に1回、1時間とか2時間とか「いつでも来ていいよ」みたいな時間があるんですよ。
で、そこで相談したり話したりすることができるんですけど、ほとんど学生使わないんですよね。
だけど僕は1年生の頃からずっと使ってて。すると、大学の経済関係の先生と仲良くなってくる。本を借りたり、借りパクしてずっと家にある本があったりするんですけど、そのぐらい密にその職業の先人と接する機会を持つっていうのが、職業選択や、どういう生き方をするのかっていうことの理由になったかと思います。
だからって、別に大学生になったときに、オフィスアワーに行って先生と仲良くするってのは絶対じゃないです。別にそれは僕が研究職に行くから、大学の先生と話し合ったり、仲良くなれる場に行ったっていうだけで。
大企業に勤めたいんだったら、例えば商社にいる先輩の行ってた大学のサークルに入ってみるとか、その大学のサークルの先輩のツテで、自分が行きたい会社の先輩に話をしてみるとか、仲良くなってみるとかっていうことが、キャリア選択には非常に重要になってくる、ていう感じですかね。
やっぱりロールモデルがいるといないのでは、全然違うかなというふうに思います。
粕川
ありがとうございます。
先生方も、他の我々も、きっかけも本当にバラバラなので。どこに何が眠ってるかわからないので、楽しみながら毎日過ごしていけばいいんだと思います。
Q. 経験してよかったこと・しておけばよかったこと
粕川
漠然とした質問なんですが、学生時代に、
・こういうことを学んでいた
・経験していたことが今生きている
・逆にもっとこういうことをちゃんと学んでおけばよかった
・経験しておけばよかった
そういうことがあれば教えてください。
A
結局、専門職っていうのに就くと、自分の専門に関してはやるんですよ。結局、勉強するんですよね。まあしない人もいるんですけど。
なので、他学部、他の学問を体系的にやっとけばよかったなって。特に数学をもっとやっておけばよかったなっていうふうに思います。
「ストックオプション」とかって聞いたことあります?
ストックオプションというのは、株式ってあるじゃないですか。株式って、その株式自体を売ることもできるんですけど、株式をもらう権利を売る、みたいなことができるんです。それをストックオプションって言うんですけど、ストックオプションの値づけをするときに、「ブラックショールズモデル」とか「モンテカルロシミュレーション」とか、そういうのを使うんです。
私は今、こうやって単語を言っていいて「それで値付けする」ってことは知ってるんですけど、それが何なのかは説明できないんですよね。なんかあんまりちょっと上手い説明じゃないような気もするんですけど。
「それで実務が回っていてそれで、値づけしてるからまあええやろ」みたいな感じで話が進んでくんですけど、それが数式とかでバーッて出てくるんですよね。
見ても「何か文字が並んでる」としか認識できないので、なんかその…「わからない気持ち悪さ」みたいなのが、ずっとつきまとうんですよ。
だから、どれだけやればそれが理解できるのか、私は知らないんですけど「やっときゃよかったな」っていうのは、すごい思いますね。
あと「専門科目は結局勉強する」って言ったんですけども、当然、余ってる時間でしなきゃいけないわけなんです。
そうすると、その他のことを勉強しようと思っても、プライオリティ(優先順位)的にどんどん低くなっていくんですね。法律改正を追ってくだけでも結構大変なんで。
例えば、勉強というか単に趣味で読んでるだけの本とかでも、職業に関する本は読んだら、何ていうか…。
我々って、専門知識とか技能を切り売りしてお金もらってるんですよね。
だからさっき紹介したような本を読めば読むほど、売り物が増えるわけです。在庫が増えるわけですよ。
つまり、こういうのは読んでても、何ていうか…タイパ(タイムパフォーマンス=時間対効果)が良いわけなんですけど、それ以外の学問って…。
ファイナンス理論、経済学など、そっちはまだ、比較的近接分野なので、やってる人はすごいやってると思うんですけど。
そういうのじゃない分野っていうのは、やる上で、インセンティブっていうか…プライオリティがどんどんなくなってくんですよね。
なので、なんか大学生のときって死ぬほど時間あるんで、そのときやっておけばよかったなってすごい思います。
粕川
難しい単語もあったと思うんですけど、最後の言葉がすごい、ささりますね…。みなさん、いっぱい勉強してください。
ではB先生、お願いします。
B
この質問ですけど、
「学生のときに、何を学んでおけばいいですか」
「経験しておけばいいですか」
っていうふうに、私も聞かれることはあるんですが、あくまで私個人の考えだと、やっぱり「全部」「何をやっても活きていきますよ」っていうのが一番言いたくて。
特に「将来これになるために、これはやらなきゃ、あれをやらなきゃ」っていうことで、未来のための時間っていうのももちろん必要なんですけど、それとは別に、
・今の自分が興味があること
・これをやりたいと思うこと
・絶対にこれが嫌だと思うこと
とか。
そういう、「今の自分がどう感じて、何をやりたくて」っていう時間が、すごく大事だなと思うので、そうやっていろいろ挑戦してみたりとか、失敗してみたりとかすると、自分自身がどういう人なのかっていうことがよくわかってきます。
あとは、
・自分が向いていること
・やりたいこと
そういうのを探すのも大事なんですけど、それと同じぐらい、
・あまり向いていないこと
・合わない環境
・どういう状況だと自分があんまり物事がうまくできないか
とか、そういうことを知るのも大事です。
今後、例えば、職業選択をして働き出すって考えたときに、合わない環境を避けるっていうことが、今後の社会情勢でもやっぱり大事になってきます。
なのでその辺をやるためにも、「今の自分がどう感じているかを、大事にやってみること」がいいかなと思っていて。
なので私は「これを達成した」とかよりも、
「こういう失敗したな」
「こういう場所に行ったけどあんまりやらなかったな」
とか。そういう方が、印象に残ってますかね。
アルバイトとかでも、居酒屋でホールのアルバイト(ホール=注文取ったりとか食べ物を提供したりする仕事)みたいな、いろんなことを同時にやるのはなんかあんまり合わないな、とか。
そういう経験の方が今結構生きてるかなって思います。
粕川
ありがとうございます。尾川先生お願いします。
尾川
とりあえず勉強はしておいた方が良かったです。
特にセンター試験ですね。今は共通テストですが、私の頃はセンター試験という名前で、5教科の試験がありました。
アナウンサーになってみると、仕事を自分で選ぶことはできません。
「あの人にインタビューに行って」と言われたら行かないといけないんです。その人が理系の人であろうが、文系の人であろうが関係なくお話を聞きに行かないといけないので、「やっぱりあのときに逃げなくて良かったかな」という思いはありました。
皆さんも得意不得意はあるかもしれませんが、受験の先を考えたときに色々な選択肢が広がる意味でも、あまり科目を絞らずにやっておくことをお勧めします。
でも、私は数学や理科が得意ではなく、特に理科はセンター試験でも生物しか勉強してこなかったので、今は理系の生徒さんの事前課題小論文などは、理系の先生方にお助けいただいています。
粕川
ありがとうございます。塚田先生お願いします。
塚田
本当に、A先生がおっしゃったことって、本当にすごい重要で。
大人になっていって、特に専門職になってくると、自分の分野のことはどんどん深掘りすることができるようになってくんで。
それは何でかっていうと、それが投資になってるからなんですよ。
結局「ここで時間をかけて読んでも、それがそのうち給料に返ってくる」っていうサイクルができてくるので、その勉強は当然、どんどんやってくようになってくんです。
けど、そうするとその分、だんだんと他の分野の勉強って、全然やる気が出てこないんだよね。
自分の中で、
・お金が稼げる
・生きていける
っていうのが、どれだけモチベーションになってくるのか、ってのが。
本当だったら全然、心理的にはフラットなはずなんですよ。
古典だって、物理学だって、経済があって学びたいって思っているのに、経済学しか学べない状況に、やっぱりなっていってしまうんですよ。
その分、学生の頃、高校生の頃なんか、5科目全部勉強しても、それが全部、自分の最終的なリターンに返ってくる。
勉強すればするだけ、将来の選択肢が広がるし、給料も良くなってくる。
生物学とか物理学とか、歴史、特に世界史日本史を勉強して、それが自分に返ってくるって、めちゃめちゃいい機会なんですよね。だから高校生のうちに。
大人になってから世界史を勉強したくても、できないんですよ。モチベーションが、自分の専門分野とずれてたら。
もちろんそこでも、趣味だと思って勉強することはできるし、僕も趣味で、生物学とかにはまってた頃とかってあります。経済学の隣接分野だっていうのも、やっぱりあるんですけど。
経済学の中にゲーム理論っていうのがあって。ゲームの中に「進化ゲーム理論」っていうのがあって、進化について勉強することが、自分の中でも得意になるからというのもあって、生物学を勉強して「めちゃくちゃ面白いなって生物学って」ってハマってたことがあって。
で、その生物学の勉強をし始めてから、高校の生物の教科書を読んだり、ネットで調べて。
例えば大手予備校の大学入試の生物の動画とか見ると、「これ結構ちゃんとしたことを教えてるな」と思って。
日本の高校課程の、生物、化学、世界史とかの教科書って、めちゃめちゃ優秀で、最低限のめちゃめちゃ重要なことが書いてあるんです。
それを大人になってから趣味で勉強するのと、高校生あるいは大学生のうちに、それが点数に跳ね返ってきて、それが自分の将来を決めるっていう状況で勉強するのだと、今勉強してる方がこれ絶対得なんですよ。
30歳ぐらいの頃にハマったんですけど「いや今俺大学受験したらもっと上いけたな」とか(笑)、余裕で生物勉強できるし、今から古典もめちゃめちゃ楽しめるはずだって思って。
大人になってくると、勉強の楽しさってわかってくるから勉強したくなるんだけど、してもあまり意味がないっていう状況になっちゃうので。
高校生、大学生のうちに勉強が楽しいってことに気づいて、それが自分の生活にもはね返ってくるっていう状況で勉強できると、めちゃめちゃ美味しいかなというふうに思いました。
あと英語。
英語で挫折してるので、英語はした方がいいなっていうふうに思います。
粕川
ありがとうございます。
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