ブログ
BLOG
今回は、私がいた当時の巣鴨になかった(と思う)ものについて触れていきたいと思います。
①先生との絆
先生との絆については言及せざるを得ません。
先生達の多くは権威主義的で、生徒に対してフレンドリーに接するタイプの先生はほとんどいませんでした。
今思えば、先生達も、学校から「生徒を統制・支配する」というミッションを背負っていたのだと思います。このため、おそらく本来は優しい性格なんだろうな、あるいは賢くて思慮深い人なんだろうな、という先生でも、生徒とはかなりの距離感をもって接していました。そして、多くの先生は、生徒の人生に無関心なんだろうな、という印象を持っていました。むしろ、中には、生徒を虐めることに快楽を感じているとしか思えない先生もいたことは事実です。
このため、私はほとんどの先生について「何か困ったときは相談をしに行こう」という気すら覚えませんでした。
ただ、例外的に、一人だけ好きな先生がいました。その先生は美術の先生で、巣鴨のOBでした。その先生だけは、破天荒な授業を展開していました。
ヤン・シュヴァンクマイエルのシュールなクレイアニメを見せたり、「どんなに線がずれても対象以外は絶対に見るな」と言ってデッサンさせたり、毎朝4時に起きてデッサンしていると話したり、不良に絡まれて殴られたことからボクシングジムに通いだした先輩のことを誇らしげに話したり、この先生の授業だけは他の先生と違って型破りで、大好きでした。
この先生だけは、学校が重視している社会的評価の枠から自由に生きている印象でした。
私がその当時、アートに関わる方向に進みたいと感じたのは、その先生の影響もあったと思います。
巣鴨の先生の中でも変わり者で、浮いている感じの先生でしたが、偶然にもその先生に出会えたことには感謝しています。
ですが、あくまでこの先生は例外的で、多くの先生とは絶望的な距離感がある、という印象は6年間を通してありました。
これが学年全員に共通する認識かどうかはわかりません。学年トップクラスの優等生については、先生が「あいつはすごいぞ。お前らも少しは見習え」と授業中に話したりしていましたし、ある先生は、その優等生のノートをコピーしてクラス中に配ることもあったので、そういった生徒は先生からも一目置かれていたはずで、先生との関係も良好だったものと推測されます。が、少なくとも私の周りの友人は、私に近い感覚を持っていたはずです。
②ディスカッション
私が通っていた時代の巣鴨では、議論や発表をするという機会はほぼありませんでした。
ですので、大学で建築学科に進学して発表する際は、不慣れで非常に苦労しました。もっとも、私のポテンシャルの問題も多分にあると思いますが、仕事をするようになっても、議論や発表の機会は度々あり、また重要度も高いことが多いです。
当時はまだペーパーテスト全盛期の時代だったこともあるかもしれません。現在はさすがにアップデートされていると信じたいところですが・・・
ともかく、ペーパーテスト至上主義なので、医師国家試験、司法試験、公務員試験などのいわゆる難関試験の合格には高度に対応していました。実際そのような道に進んだ同級生は大勢います。それだけでも十分なのかもしれませんが、厳しい見方をすれば、いわゆるAI的な力を鍛えるばかりで、AIに代替え不可能な能力の開発という側面には目が向いていませんでした。
並木陽児 究進塾代表。最近ハマっていることは、川遊び(ガサガサ)と魚の飼育です。 |