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巣鴨学園は「硬教育」を謳っていた通り、典型的な「硬派」な男子校。ということで、制服も昔ながらの詰襟、鞄もずっと伝統を守り続けた革鞄、さらにその鞄は「つぶす」ことも固く禁じられ、教科書もすべて持ち帰るので、真面目な巣鴨生のそれはパンパンに膨らんでいました(推定5kg以上)。学帽も登下校は必須(※現在は鞄もモデルチェンジしてますし、学帽の着用も必須ではなくなりました)ということで、真面目にルールに従っていたら、モテるわけがありません。
ただでさえ、女子とは全く出会いがないのです。
もちろん、例外的に、そこから逸脱する同級生はいました。そういった同級生は、小学校時代の友人経由で紹介してもらったり、女子校の文化祭に出かけて行って声をかける(いわゆるナンパ)、というかなり積極的な行動派でした。
今でも鮮烈に覚えていますが、中学2年の文化祭に、女友達を呼んでいた同級生がいました。帰りの点呼の時間にも、彼だけが教室に戻ってこない。先生が「あいつはどこにいる?」と言いました。すると、あるクラスメートが「あいつ、女と楽しそうにしゃべってるぞ!」と叫びました。みんなが一斉に窓の外を見ると、校庭で、部活の先輩らしき人と、2対2で他校の女子生徒と仲良く楽しそうに話している彼がいました。
そのときに受けた衝撃は今でも思い出します。彼はクラスメートのみんなから、羨望のまなざしを一身に浴びていました。私の中では、そこから何とも言えないモヤモヤした気持ち(勉強だけできてもモテないとなんかむなしいよな~)が芽生え始め、クラスでも何人かのクラスメートを中心に、ふんわりと「彼女がほしいな~」「女の子と遊びたいな~」といった空気が生まれてきたように思います。
ただ、当然のことながら、何もできません。できることと言ったら髪を脱色すること、でも先生に目をつけられると怖いので、私の場合は美容院に行くこと、そして休日に友達と服を買いに行く、ということぐらい。
もちろん、中には同級生でいち早く文化祭に遠征しに行ったり、合コンを開催するなどして、女子校の友達を作り始めるグループもバスケ部を中心に出始めて、その中には彼女を作る器用な「強者」もいました。
私もそんな友人たちからはだいぶ遅れてですが、高校に入ると、多少知恵をつけて友人にお願いして合コンに参加してみたり、文化祭で声をかけたりはトライしてみましたが、私自身は高校時代を通して彼女はできませんでした。ダブルデートと言えるものを1回ぐらいしたような淡い記憶があるくらいです。
「何組の誰に彼女ができたらしい」というのは、それこそ学年中をめぐるビックニュースになったものでした。ですが、私が知る限り、当時の同級生で彼女がいたことがある同級生は約45人のクラスに1人か2人、多くても3人程度だったのではないかと思います。
私の個人的な思い出はさておいて、今考えてみたいのは、この男子校という同質で特殊な空間で育ったことの功罪です。
まず先に、罪について語らざるを得ないのですが、やはり偏った価値観を培っていく土壌ではあったことは否めません。
極端にホモソーシャルな社会なので、女性の存在が遠く、それゆえに一人の人間として話したり、議論したりするという、普通のコミュニケーションの経験が極端に乏しいわけです。
なにしろ、当時の巣鴨には女性教諭も保健室に中年の教諭が一人いたのみで、それ以外は皆無でした。それだけでなく、思春期の男子として、女性に対して一方的な好奇心だけはあるのがまた厄介な点です。
例えば、こんな場面は日常的にあったと記憶しています。誰かがグラビア雑誌(ヤングマガジン)などを持ってきて、当時は確かモーニング娘がグラビアに載っていました。休み時間中に「この中でどの子が一番タイプか、投票しよう」なんてことを誰かが言い出すと、参加者が次々と出て、ひと盛り上がりしてしまう。
こういった容姿で女性を判断・評価するという習慣が日常的に存在する。これは巣鴨に限らず「男子校あるある」かもしれませんが、やはり大人になってみると異質な空間でしょうし、この期間に歪んでしまった価値観を修正するのは容易ではないと今振り返っても思います。
さらに、これもホモソーシャルな環境ならではですが、暴力沙汰もなかったとは言えません。とは言っても、多くは大企業や医師など、比較的裕福な家庭で育ち、中学受験に勝ち抜いた人達なので、根本的に家庭環境に大きな問題がある、という同級生はわずかでした。
私の分析では、まず当時の先生が鉄拳制裁が当たり前だった影響が大きいと思います。
さらには「池袋ウエストゲートパーク」のモデルとなった池袋が通学路で、そこにはチーマーやカラーギャングなど不良少年が跋扈していた背景もあるかもしれません。少なくとも校外戦は記憶にありませんが、校内のトラブルで、周りがけしかけて仲悪い者同志が喧嘩するといった衝撃的な事件はありました。(私の記憶する限り、ここまで悪質な事件は6年間で1件あったのみで、当時の巣鴨においても非常に稀な事件でしたが、ショッキングな事件でしたので鮮明に記憶に残っています)。
それでは、その後の人生はどうなのか?結婚は遅いのか、早いのか?
多くの人にとって関心があるテーマだと思いますが、これについてはあくまで限られた、かつ偏ったデータしかありません。ただ、少なくとも私が仲良くしていた友人の多くは結婚が遅い、または独身の割合が多かったです。私自身も結婚は35歳でしたし、恥ずかしながら20代後半は彼女がいない時期が数年間ほど(←あえて「数」と濁して書きますが、1年や2年ではありません)ありました。私が就職もせず、自主映画を撮りながらフラフラと自由な身でいたこともあるかもしれません。また、私が仲良くしていた友人達は巣鴨の中でもアウトサイダーが多かったので、特殊解の可能性があるという点は言わなければならないでしょう。さらに、私自身が同窓会に顔を出すタイプではありませんでしたし、私の友人もまた同様でした。ですので、これは一般化できるものではありません。一人、高校時代から彼女がいた友人はそのまま大学卒業して、その彼女とまもなく結婚しました。おそらくレールを外れることなく歩んだ知人が少ないだけで、そういうタイプは早く結婚している可能性も十分にあります。この点については他の巣鴨OBの意見も広く伺いたいところです。
ですが、少なくとも私自身は中高6年間男子校(というか巣鴨)の影を背負っていた認識はあります。
それでは、功はあったのか?
と言うと、すぐには出てこないんですね・・・
確かに学校からすると「思春期の大事な時期に、恋愛にうつつを抜かすことなく、勉学に励め」という方針で一定の合理性があったのでしょうが、それによって勉学に専念できたかは何とも言えません。むしろ、同級生に女子がいたほうが、直接頑張る動機も見つけられたかもしれません。
強いて言えば、あの極端な学校行事は男子校ならではのもので、それによって「コツコツと地味に、耐えながらやるべきことをやる」という習慣は一定程度、身についたのかな、と思います。
また、最下位まで全員の得点を発表するという、ある意味ではワイルドとも言える方針も、男子校ならではでしょう。これによって競争心を掻き立てられることで、勉強するようになった効果がないとは言えません。
ただ一方で、現在では、ジェンダーの不平等に基づく様々な問題や不祥事などのニュースが日々報道されています。ホモソーシャルな価値観に基づく政治家や有名人、財界人の発言などがSNS上で炎上することも度々あります。私はそういった発言を目にするにつけ、6年間を過ごした巣鴨学園は、正にそういった価値観を育むための極地とも言うべき環境であったことを痛感せざるを得ません。
少なくとも、現在はアップデートされていると信じたいところです。
さて、次回は「巣鴨にはなかったもの」について触れたいと思います。
並木陽児 究進塾代表。最近ハマっていることは、川遊び(ガサガサ)と魚の飼育です。 |