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高校生は恋愛をするべきでしょうか?とてもシンプルな問いですね。単純で簡単に答えられる問いのように感じますが、じゃあ勉強と恋愛をきちんと両立できるのかと言われてしまうと、必ずしもイエスと答えられない人もいるかもしれません。特に保護者の方はこの点を気にする人も多いのかなと思います。首都圏の進学校では男子校や女子校など別学の形態を取っている学校も多いのが実情ですし、仮に難関大学を目指すのであれば、異性のいない学業に集中できる空間で過ごすのも一理ありますよね。
では私の意見はどうかというと、高校生は恋愛をしたほうが良いと思っています。また、思春期に男子校や女子校で過ごすメリットはあまり多くないだろうとも思っています。つまり、恋愛のない高校生活はNoであるというスタンスを取っています。恋愛は人を成長させる大きな要素の一つで、できるだけ早い段階でその経験を積んでおくべきだと考えていますし、それ以外の理由については後述したいと思います。
恋愛をした方が良いとハッキリと言い切る理由が他にどこにあるかのかと言うと、キーワードとなるのは「刹那性」です。そのときその空間でしか体験できないものがたくさんあるというのはよく言われることですよね。高校生でできなかった恋愛を全く同じように大学生や社会人になってから同じように体験できるかというとそう上手くもいきません。「クラス」や「制服」、「時間割」のような中高生特有の決まりがある中での生活は、大学生以降のそれとは大きく異なります。人間関係の作り方や人との距離感においても同様に違いがありますし、中高生にしか流れていない独特の時間や空間の流れ方があるというのは大人になれば誰しも感じるところだと思います。大学生や社会人の恋愛とはちょっと違いがあるんですよね。
もちろん大学生以降に初めて恋愛をしたからそれが遅いというわけではありませんし、恋愛はいつでも楽しいもの(そうではないこともありますが、、、)です。ただ、高校生のそれとはどこか違いがあることは否めません。つまり、そのときその場所や空間でなければ体験できず、後に似たような体験をしたとしても、得ることのできなかった経験を完全に補うことはできないということが重要なポイントで、ここに刹那性があると私は考えています。
恋愛とは少し違う例を挙げてみましょう。私は英語を教える立場ですが、実は海外に住んだ経験はなく、いわゆるバックパッカー的に一ヶ月ほど海外を旅行したというのが最も長い海外経験になります。もし私がこれから留学するとしたら、大人の視点や感覚で異国の地を体感するということになります。大人になって色々な知識や経験を積んできましたから、もしかしたら高校生の時に留学するよりもより多様な視点で物事を捉えることができるかもしれません。一方で、学生のような良い意味で無垢で衒いのない感受性を持って世界を見ることはできないかもしれません。大人の私だから感じることができる感性もあれば、高校生の自分にしか感じられない感性もあり、それらはどちらもその世代の刹那性というフィルターを通した上での視点や経験にならざるを得ません。これはネガティブに捉えるべきものではなくて、むしろ今しか経験できないことを存分に享受するという姿勢が大切なんじゃないかと思っています。そういうものにはお金や時間では代替できない価値があるのも事実ですからね。
刹那的であるということは必ずしも高校生のような学生にとってだけ言えることではなく、30歳の自分の視点でしか経験できないことを、その10年後の40歳になって似たような経験をしようと思っても、残念ながらそれは同等のものにはなり得ないと私は感じています。むしろ年齢とともに積み重ねてきた経験そのものが刹那性の邪魔をしていると言っても良いかもしれません。良くも悪くも人はその年齢に伴った経験しかできないようになっているのです。だからこそ、学生の時は気付けなかったことに大人になってからようやく気付くことができたなんていうことも多いですよね。
当初のトピックからだいぶ話が逸れてきたような気もしますが、始まりは共学と男子校や女子校の是非についてでしたね。よくある主張としては、「いやー男子校は男だけでしかできないふざけたことができるしホントに楽しいよ」「女子しかいない方が周りの目を気にしないで済むから過ごしやすくて良かった」などという人がいるのですが、これに関しては的を射た意見とは言えない気がしています。
私は中高と共学出身ですが、共学でも多くの場合は普段つるむ仲間はそれぞれ男子だけ女子だけのグループに自然と分かれていて、いわゆる男でしかできないノリや女の子だけの楽しさというのはみな経験しています。もちろん別学になるとその度合いが大きくなるのですが、まあ大差ないよなあと思いますし、失われるものの大きさの方が勝っているんじゃないでしょうか。また、男女がいる空間に慣れないという人ほど、早い段階で異性のいる場所で経験を積んで、それが本人の無理なく当たり前と思えるように感じることができるようにするべきだと考えています。その先を考えれば、社会人以降で男女別の組織に属する可能性は極めて低いですからね。
学業と恋愛の両立については、各々全力で頑張ってくれとしか言えませんが、両立できるように努力することで得られるものの方が多いと思うので、それをネガティブに捉えようという考えは持ちたくありません。これは一般的に男子に多いことかもしれませんが、恋愛にうつつを抜かして受験に失敗するのは自業自得ですし、その結果はその人がしっかり受け止めれば良いことだと思います。ただ、恋愛のせいで受験に失敗した男子が心底不幸な顔をしている姿はあまり想像できないので、そもそも心配無用な気もします。今回はあえて対立軸っぽく取り上げてみましたが、勉強と恋愛という二項対立で考えること自体が筋が悪いというそもそも論もありますしね。
また、恋愛するより勉強しろ!!という硬派な方もいるかと思いますし、一方で「高校生にもなるのにうちの子は男っ気(女っ気)がないけど大丈夫なのかしら」と子どもの恋愛事情を心配する親もいますよね。親は何がどう転んでも子どもを心配するものですし、過干渉になっていないのであればそれが子どもに明確な悪影響を与えることないのかなと考えています。高校生は年齢を考慮してもまだ未熟なところが多くて当然ですが(その人の成熟度は本当に人によって異なりますし、こちらが驚くほど自律的な人も沢山います)、金銭的な支援は例外として、その年齢になって親が手助けできることはあまりないのではと私は思っています。
今回は高校生の恋愛という切り口から人生の刹那性について少しお話ししてみました。なお、本記事では議論をより分かりやすくするために、意図的にLGBTQの方についての言及を避けていますのでその点はご了承くださいませ。また面白そうなテーマを思いついたらブログに書いていきますので、次回も楽しみにお待ちください。
ICU(国際基督教大学)卒。物腰が柔らかで話しやすく、生徒の性格に合わせた指導が特徴の英語講師。大学受験英語のほか、四技能指導を得意としており、英検やTOEIC・TOEFLなど英語資格試験の指導でも活躍中。