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最近あったニュースで、プロ野球のソフトバンク・ホークスに在籍していた千賀投手が、メジャーリーグの名門・ニューヨークメッツと5年契約で100億円で契約したというニュースがありました。
平均年俸20億円。ソフトバンクに育成で入団したときの年俸が270万円だから「755倍になった!」と話題になりました。
このニュースは、日本中で「夢がある!」という感想とともに、明るいニュースとして報道され、好意的に迎えられました。
また、これに近い話は多く溢れています。
・極貧から誰もが知る大企業を築き上げた創業者
・アルバイト生活から一夜でスターになったお笑い芸人
私が知る限り、多くの日本人はこういったサクセスストーリーが大好きです。何を隠そう私も、これまでこういった話に勇気づけられて、自らの発奮材料にしたことは一度や二度ではありません。
また、こういったサクセスストーリー自体が悪いわけではありません。
ですが、その根底には、能力主義があるということを意識したことはありますか?
能力主義とは「実力があれば人はどこまでも豊かになれる」という考え方です。
著者のマイケル・サンデルは、この能力主義が、この数十年間でいかにアメリカ社会の隅々まで浸透し、教育や労働を歪めてきたか、そしてそれがアメリカを分断し、トランプ台頭につながるポピュリズムの勃興を招いたということを様々なデータや言説を元に論証して行きます。
意外にも、オバマやクリントンなど、リベラル派エリートが学歴偏重主義によって、能力主義を加速させた点を痛烈に批判し、大学が特権の固定化装置または強化装置として機能していることも批判します。
ほんの一例ですが、3000万人を対象にした、1999年~2013年の経済状況の変化を経済学者が調査した研究データによると、社会の最下層→最上層に移動した割合は、
ハーバード大学:1.8%
プリンストン大学:1.3%
ミシガン大学アナーバー校:1.5%
全体平均:2%
だそうです。世界中で広く共有されている『アメリカン・ドリーム』が、ほとんど幻想とも言える確率でしか起こらないということを示しています。
それでは、どのような解決策があるのか?というのが気になるところですが、サンデルの提案は大胆なものです。
ハーバード大学やスタンフォード大学では、合格者2000人に対して、毎年40,000人超の出願者が来る。このうち、入試委員会が「ついていけない」と判断した一部の希望者を除き、手元に残った20,000人~30,000人からくじ引きで決める。
その理由は「どれほど目の肥えた入試担当者であろうと、18歳の若者が将来、学問あるいは他の分野で傑出した業績を挙げるかを正確に評価するのは不可能」「心を押し殺し、履歴をつめ込み、完璧性を追求することがすべてとなってしまった高校生活がある程度楽になる」というものです。
補足しますと、サンデルは、大学入試における能力主義が、『勝者』の側の人生にも、影を落としているいう点を指摘しています。
これを日本に置き換えて考えてみると、最初に足切りだけを行い、その後はくじ引きで決めるということになります。少なくとも日本では多くの人にとっては受け入れがたく、大反対に遭うのではないでしょうか?
ただ、サンデルは考え得る反論に対して丁寧に回答しています。
例えば、「一流大学の威信が損なわれるのでは?」という声に対しては、
「おそらくそうなる。しかし、それが本当だとすれば、過去数十年、威信に駆り立てられた高等教育の『再選別』が教育と学習の質を向上させたと信じていることになるが、それは疑わしい。能力主義の選別のせいで、不安だらけの競争を強いられた結果、学生たちはリベラルアーツ教育の探求的性格にはなじみにくくなっている」と述べています。
この本を通じて、サンデルは、能力主義がいかにアメリカ社会のあらゆるところに浸透し、それが分断を生んでいるかを一貫して訴えています。そのことへの危機感が非常に強いのです。
これはほぼ完全に日本社会にも当てはまると私は感じました。
少し個人的な話になりますが、私自身が受けてきた教育を振り返ってみても、能力主義そのものでした。
中学受験の競争、それを乗り越えて入った巣鴨中学・高校では、定期テストの学年全員の点数が、順位表とともに毎回プリントで配布されていました。それに何とか順応しての大学受験、思うような大学に合格できず浪人し、リベンジを果たすように東大に合格
思えば、ここまでは能力主義を疑うことはありませんでした。
むしろ、サンデルが指摘するような思い上がり(誰でも努力すれば結果はついてくる→努力できない人は弱い人間だ)があったと自覚しています。
ただ、大学に入ってからは、サークルでもはびこる能力主義に疑問を感じたからか、大学の成績がそれほど芳しくなかったせいか、人文科学系の様々な教養科目の授業に触れたせいか、就職活動で皆が大企業か官庁に行くという風潮に違和感を覚えたからか、おそらくその全部が複合的に作用したのだと思いますが、能力主義に少しずつ疑問を持つようになりました。
とは言え、現在も塾ということで、成績を上げたり、大学受験に合格するというのが重要な仕事にはなっていますので、やはり能力主義の一端を担っているという自覚はあります。
おそらくですが、日本中の大多数の学校が、能力主義に一抹の疑問も持たずに突き進んでいるのではないでしょうか?「勝ち組に入るにはどうすればよいか?」「生き抜くための大学選び」といった教育方針が軸に据えられていますし、それが機能している学校ほど高く評価され、人気が出るというのが現実です。これは受験制度を中心とした勉強の世界はもちろんのこと、スポーツ、ひいては芸能の世界についても当てはまります。
サンデルがこの本で訴えている共同体意識(自らが恩恵を受けている共同体の一員として自分自身を見る)や謙虚さ(どれほど頑張ったとしても、自分だけの力で身を立てて生きているのではない。才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではない)を学校教育において教えてもらった覚えは私の記憶の限りでは、皆無です。
いや、むしろ、学校どころか、社会でも日常で暮らしていて、このような言説に触れることはほとんどないと言えるのではないでしょうか?日本の有名人や知識人で、これに近い意見を主張しているのは、私が知る限りでは、社会学者の宮台真司さんくらいのものです。
そういう意味で、この本のサンデルの主張は大変大きな意義があり、学校でも伝えるべき内容だと思います。むしろ公共性が高い学校の先生ほど、伝えやすい内容のはずです。一方、塾という場所で、それをどのように伝えることができるのかは、すぐに答が言えるわけではないのですが、まずはふるまいとしてそのような姿勢を自らが示し、生徒やスタッフに伝えることを心掛けたいと思います。さらにそれを越えて、授業などでさらに伝えて行く方法がないかどうかは、宿題として、これから抱えて行くべき問題と認識しています。
並木陽児 究進塾代表。最近ハマっていることは、川遊び(ガサガサ)と魚の飼育です。 |