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技術の鍛錬と知的探求のコミュニティ
去年の終わりごろに、大人の習い事・生け花を始めてみましたというブログを書きました。趣味として生け花を習い始めたお話を書いたのですが、その後どうなったかというと、もうかれこれ3ヶ月くらい生け花教室には行っていません(笑) いやー、習い事って続かないものですね…
ただ、これは教室に行きたくなくなって辞めたというわけではなく、いったん自分だけで生け花をやってみようかな、という思いからです。最近は月に一回か二回くらいのペースで家の近所の花屋さんに行って、その時の気分で、「今日は黄色っぽい花がいいかな」とか「今回は青系でまとめてみようかな」という具合で適当に見繕って、自宅の花瓶に生けています。ちなみに花瓶は半年ほど前に買ったウェッジウッドの花瓶を使っていて、とても気に入っています。少し値は張りましたが、いまでも買ってよかったと思える良い買い物でした。
いくつかの花屋さんを周ったのですが、その中で一番よく行くのはどういうお店かと言うと、おそらく長年その町に根ざしているであろう、ちょっと古くさい店看板を立てていて、80歳くらいの方かなと思う腰が曲がった気の良いおばあちゃんが店先に立っている花屋さんです。もっと小綺麗なフラワーショップは他にもいくつかあるのですが、おばあちゃんとののどかな会話が楽しいので、その店に通っています。飲食店でもそうですが、応援したくなる店を見つけるのも楽しみの一つですね。
さて、数ヶ月の間は我流で花瓶に花を生けてみたのですが、これがまああまり上手くいきません。ひどくて見てられないというような出来ではないのですが、なんかあんまりしっくりこないなあ、もっと上手に生けたいんだけどなあ、とどうももやもやすることの方が多いです(もちろん楽しんではいるので、生け花自体を嫌いになったりはしません)。
やっぱりちゃんと教室で習ったほうがいいなとも思い始めているのですが、では自分がわざわざ時間とお金を使って生け花を習う理由って何なんだろうと考えてみたのですが、3つ頭に思い浮かんだものがありました。
① 数年間生け花を習うことで「師範」という資格を取得でき、師範になると他人に教えることができるようになります。つまり、将来自分で教える立場に就くことを目標とするということです。
② 師範という資格取得はある種のゴールになります。大学受験であれば志望校合格ですし、英語学習であれば英検一級取得などが当てはまります。目標を達成することで達成感が得られ、一つのことをやりきったという思いが感じられるでしょう。
③ 最後の一つは技術の習得を楽しむことと、それまでに見えていない世界を見ることです。他人に教えを請うことで、独学では得られない技術の向上が見られ、より高い視座と新たな視点でその分野を見ることができます。
まず①の将来教える立場に就くことに関しては、現時点では全く興味がありません。私は英語講師として英語を教える立場ではあるのですが、生け花に関しては花を生けることを純粋に楽しんでいるだけで、まだ他人に教えてどうこうということを考える段階にはありません。
師範という資格にこだわるという②についても、資格を得ることで達成感を得ることができるのはもちろん理解できますが、数年後といった遠い未来を見すぎないようにしたいという思いもありますし、別に資格が欲しくて始めたことではないので、師範という肩書自体にはほとんど魅力を感じていないというのが正直な思いです。
自分にとって大切なのは、③で言及したことだと思っています。教室で先生に教わるたびに新鮮な発見と驚きがありますし、一つひとつ自分の技術が向上していく過程は私にとってとても楽しい経験で、継続する理由の一つになると感じています。何かができるようになる喜びというのは誰にでも当てはまることで、立場や年齢などに関係なくいつでも得ることができるものです。例えば陸上をやっている人であれば、今日は走るフォームが少しだけ良くなったとか、勉強であれば昨日まで解けなかった問題が解けるようになったとか、そういう小さなことで構いません。
技術の習得と言うと、ある分野のプロフェッショナルの人や、大工さんのようないわゆる職人さんだけのことをイメージするかもしれませんが、私はほとんど全てのことに技術の習得という考え方が当てはまると思っています。日常的なもので考えれば、料理や掃除のような家事であっても技術の習得の積み重ねがあると思います。ほかにも、いわゆる普通のサラリーマンであっても、例えば営業職であればテレアポをすることが多いのですが、電話をするスキルというもの技術の習得より上達が可能です。プライベートでも仕事でも、技術を洗練させていくことに楽しさを感じられるようになるかどうかは、前向きに生活を送る上でとても大切なことだと考えています。
また、技術の鍛錬によって見える世界が変わるという点もかなり重要だと感じています。ちょうど一昨日サッカーのW杯の決勝が行われていて、私もわりとにわかサッカーファンみたいな感じなのですが、朝の4時に頑張って起きて、世界のトップ選手のプレーのすごさに感心しながら楽しんで観ていました。そこで出場していたアルゼンチン代表のメッシは現代サッカーの頂点にいる選手で、多くの人は名前くらいは聞いたことがあると思うのですが、素人の私がそこそこに楽しんで観ていたサッカーの試合風景と、メッシ自身の視点から見る各プレイヤーのすごさには全く違うものがあるだろうというのは想像に難しくないと思います。
私は生け花を素人なりに楽しんではいるのですが、いま指導いただいている先生の視点から見える花や作品の美しさを理解するには相当な距離があると実感しています。卓越した技術や知識がある人だからこそ見える景色を見てみたいと純粋に思いますし、自分自身の技術の向上によって自分が何かを楽しむことの幅が広がるというのは素敵なことだと思います。人に何かを習う価値というのはこのあたりにあるのかもしれません。私自身は結構飽き性なタイプというか、一つのことを突き詰めて取り組んできた経験は正直多くないのですが、勉強であれスポーツであれ、何かに執着できるというのはとてもポジティブなことですよね。
究進塾には各分野の学問を追求してきた先生方が揃っているので、学ぶことの楽しさを教えてくれるのはもちろんですが、この先生についていけば新しい景色が見えるかも、と思って授業を受けてくれると嬉しいですね。最近は哲学カフェのようなイベントも開催する予定で、ただ受験の最適解だけをレクチャーするような塾ではなく、メンターを呼ばれるような先生を見つけて、私が言うところの技術の習得と鍛錬、そしてその中から生まれる発見を大切にしながら、世代を超えた知的探求の場としてのコミュニティのような役割を究進塾が担うことができれば良いなと思っています。
小学校受験をする幼稚園生もいれば、中学生や高校生はもちろん、大学で単位取得や院試を目指す大学生、日本の大学に進学を希望する海外から来た留学生など、さまざまな属性の生徒さんが究進塾には集まっています。学校に居場所がある人もいれば、そうでない人もいますし、外国から単身で日本にやってきた外国人の方もいます。誰かを頼りたいと思っている方にとって、知的避難所のような形で、いろいろな人が交流できるような場作りをして、コミュニティとして盛り上げつつ、シェルターのような役目を担うことができるようにしていきたいと思っています。

英語講師。ICU(国際基督教大学)卒。趣味はランニング、映画鑑賞、音楽ライブ鑑賞など。今年はエンタメを全力でたくさん楽しむというのが目標です。



