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さて、巣鴨学園での6年間を振り返っての第2回目です。

当時の巣鴨学園の指導方針は一言で言えば「ペーパーテスト×順位 至上主義」につきるでしょう。
中学入学当時の級長・副級長は入試の成績順で決まるところから始まり、毎回の定期試験では、何と(!)学年全員の得点と順位がプリントで配られました。部活で知り合ったばかりの誰々が数学で何点を取っているか、という情報も全部分かってしまうわけです。そして、思春期まっただなか、さらに中学受験を乗り切ってきた競争主義が身に染みているので、すぐに「誰がトップだ」という噂(というか情報)、そしてそれと同時に、「あいつはビリだ」という話が出てきます。

私自身は入学した当時から真ん中ぐらいでしたが、中学時代は「悪くて目立つのだけはイヤだ」という脅迫観念に追われていたように思います。特に勉強にモチベーションが上がることもなく、真ん中付近を行ったり来たりしていましたが、「悪目立ちはしたくない」という一心で、試験直前期は必死でやっていたように思います。

こういったペーパーテスト至上主義には、功罪両方あると思っています。

まず「功」の方から。

やはり、これだけペーパーテストを課されていると、毎回の試験で点を取るために何をすればよいか、学んで行く環境が整っているといえるでしょう。例えば英語については、教科書から何点分、単語集から何点、熟語・イディオム集から何点とシステマティックに決められていたので、点を取るためにはこういった努力をすればよいというのはわかりやすかったです。

また、私自身は暗記型の勉強方法を、クラスメートから学んだ思い出があります。

中学2年の世界史のテストで、私はどうしても70点までしか行きませんでした。一方、友人は毎回85点以上を取っている。
「どうやって勉強しているの?」と訊ねると「チェックペン引いてるだけだよ」。
「あれ、僕もチェックペンなんだけどなあ・・・」
教科書を見せてもらうと、チェックペンの量が全然違う。私の倍以上に線を引いているんですね。

そこで「カギはともかく目いっぱいチェックペンを引くことだ!」と悟った私は、どの科目でもチェックペンを引くという、すごくシンプルな(今考えれば若干安易な)勉強法を取ることにしました。その結果、数学、物理だけは伸び悩んだのですが、英語、地歴、化学の暗記などはこれだけで何とかなりました。

こういった勉強の仕方は、友人同士で教え合ったりヒントを得る場面が多かったように思います。もっとも、これは巣鴨に限らず、中高一貫の進学校ではよくあることなのかもしれませんが・・・。

そして、私は中3頃から、英語だけは「定期試験でこの辺が出そうだ」という予想が当たるようになりました。今思えば英語については、他科目にはない何らかの嗅覚、言い換えればセンスがあったのでしょう。それで英語の成績だけは徐々に上がって行き、高校1年次に一度、定期試験でクラス1位を取ったことがきっかけで、「おれは英語ができる!」という自信がつくようになりました。

この辺りは今振り返ると「試験の順位で目立つことが、唯一先生からもクラスメートからも歓迎される『目立ち』」だったのだと思いますが、ともかくこれをきっかけに「他の科目もやれば何とかなるんじゃないか」と思い始めたきっかけになったことは間違いありません。その後、紆余曲折あって現役の大学入試は全滅したものの、1浪後に東大理科一類に合格できたのは、なんだかんだで巣鴨のテスト主義のおかげで基礎学力が積みあがっていたおかげが大きいと思っています。この点は感謝しています。

また、もう1点、「大学名ブランド主義」にも触れざるを得ないでしょう。巣鴨生は中学受験を経て(多くは第1志望ではないものの)入学し、その後もペーパーテスト至上主義の中で鍛えられるので、当然「大学名」に非常に敏感になっていました。もっとも、その根底にあるのは、「クラスメートのあいつには負けたくない」というプライドです。これは現在、様々な「進学校」と呼ばれる生徒に接していても感じるところですが、「どんな学科に行きたいか?」「どんな学問を学びたいか」「何に関心があるのか」という熟慮や葛藤なしに、「少なくとも早慶以上には行かないと」といったことが、公然と多くの同級生の間で語られるような雰囲気が当時の巣鴨にはありました。教える立場になってからは、「大学で学ぶ内容はさておいて、大学名にこだわる」という価値観の犠牲者とも言える生徒に多数会ってきて、本当にナンセンス、なだけでなく、罪深い価値観だと思うに至りましたが、当時は私も完全にその虜になっていた部分がありました。ですが、現役時代はろくに勉強もせず漫然とベイスターズ戦のナイター中継のラジオを聴きながら勉強していたので当然のごとく全落ちしました。が、そこで絶望感を味わったのも、浪人生活でそれまでにないほど自分を追い込んで頑張れたのも、巣鴨の「大学名ブランド主義」という概念、もっと言えば「幻想」に強く囚われていたからであろうと思います。もっとも、これは多くの進学校に共通して見られる傾向なので、巣鴨特有のものではありませんが・・・。

次に「罪」について。
友人を見ると、早々と勉強をあきらめてしまう友人がいました。中学入学早々で、試験の点数も順位も全部学年中に知れ渡って、「あいつは勉強ができない」レッテルを貼られてしまうので、わからなくはありません。

そういった友人は、勉強に完全に背を向けてしまっていました。今思えば中学受験で巣鴨学園に入学する程度の学力があったのですから、地頭はよいはずなのです。ですが、「やっきになって」という言い方が適切なほど、一切勉強しないという姿勢を貫くようになりました。ある友人はいち早くファッションに飛びつき、学年一の「ファッションリーダー」としてアイデンティティを確立しました。彼はその後、巣鴨に音楽の流行も持ち込んで、一目置かれるようになりました。いち早く競争から脱落したことで、同級生からは「あいつすげーな」と一目置かれるどころかカリスマ視されるようになりました。それはそれで彼のアイデンティティの確立を強烈に助けたと思いますが、彼は、本来とても知的好奇心旺盛で地頭もよいタイプでありながら、私が付き合いのあった30代前半まで「勉強なんかクソくらえ」という、「反抗的な」姿勢を崩しませんでした。彼とは大人になってから徐々に距離感ができてしまいましたが、彼の中では「巣鴨」的なものへの反発がずっと根底にあったように思います。今思えば、彼をそこまで頑なにした「巣鴨」的なるものとは「真面目であること」であり、また「勉強することが正しい」という画一的な基準で測られることではなかったかと思うのです。

さらにもう1点指摘すると、「学問の楽しさを伝えたい」というタイプの先生は少なかったように思います。むしろ、「どう学力を上げていくか」という巣鴨システムの中で、合理的に動ける先生が望まれていたのではないかと推測されます。一度、数学に伸び悩んで、数学の先生に「どうしたら数学が伸びますか?」と聞いたことがあります。今考えれば私の質問の仕方にも問題があったと思いますが、その先生は「とにかく暗記すればいいんだよ」との回答でした。私は暗記=チェックペンという発想だったので、愚直にチェックペンで数学の問題集の答えを暗記しましたが、一向に数学は伸びず、そしてますますつまらなくなりました。今振り返って客観的に見ると、英語に比べて、面白さへの嗅覚=センスがなかっただけかもしれません。ですが、その後に浪人して出会う駿台の授業では、そんな私でも数学の面白さに触れることができたことを鑑みると、巣鴨にはこういった先生は少なかったように思います。それは数学に限らず、物理、化学、生物、古文、漢文、日本史、世界史でも同様でした。ただ、現代文では若干面白いと感じる先生に出会った記憶があるので、それは私の興味の範囲と重なる部分があるのかもしれません。

さて、次回は「男子校×ダサい制服=非モテ」について触れていきたいと思います。

並木陽児

究進塾代表。最近ハマっていることは、川遊び(ガサガサ)と魚の飼育です。

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