ブログ
BLOG
僕はランニングを趣味の一つとしていて、ここ8年くらい続いている習慣なので、自分の他の習慣と比べても比較的続いているものと言っても良いと思う。とはいえ長距離を走っているわけではなくて、一回5kmくらいの距離を30分で走り切るというようなお手軽なジョギングに近いものだ。早く走れるようになりたいという気持ちはあまりなくて、6分/km程度という一貫としたペースでずっと走り続けている。僕は早く走ることにそれほど価値を見出していないので、ゆっくりでいいから、絶やさずに細く長く続けることを大切にしている。ほとんど毎日のように走っていた時期もあるし、いまは週2回ほどしか走っておらず、その時の生活の中で心地よく自分が取り組めるペースでランニングをしているという感じだ。
僕が長らく尊敬している人の中に慎泰俊さんという起業家の人がいる。彼はPE(プライベートエクイティの略で、給与的にもビシネスマンとしては最高峰に近い業界)で働きながらNPOを運営して、およそ10年前にマイクロファイナンスの領域で五常・アンド・カンパニーという会社を起業している。日本の起業家の中でもトップランナーと言われてきた人で、彼も僕と同様にランニングを趣味としていて(彼の場合は趣味というよりも修行に近いレベルでとてつもない距離を走っている)、『ランニング思考』という本を出版している。彼のことはX(旧Twitter)やブログ、ポッドキャストなど、色々なツールで追いかけてきていて、ファンに近いものがあるかもしれない。
慎さんはウルトラマラソンに多数出場していて、この本ではそういった過酷で長い距離を走ることでしか経験できないこと、見えてこない景色や思考について語っている。本のサブタイトルが「本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと」とあるように、一ヶ月かけて本州を走って縦断するという途轍もないことをやってのけているのだから驚きだ。慎さんは社会的には大きく成功しているにもかかわらず、金満的な起業家とは対極に位置する人で、常に哲学や思考を研鑽しひたすらに自律的な生活を送っている(と私は感じている)。結構前のことだけれど、通勤では電車を使わずに、The Economist(世界で最も有名なイギリスの経済誌)を聴いてシャドウイングをしながら毎日ランニングをしながら会社に行っていたらしく、この人の習慣はとてもじゃないけれど真似することはできないなと思ったことをよく覚えている。汗だくでヘロヘロの状態で仕事を始めなければいけないのは想像しただけでかなりしんどい。
僕がランニングをする理由と慎さんが走っている理由はもちろん必ずしも一致しているわけではない。僕の場合は、リフレッシュして気持ちよく一日を過ごせるようにするためというのが一番大きな理由で、あとは適度な運動をして健康を保つため、多少しんどいと思えるようなことを習慣として続けることで胆力をつけるため(残念ながら胆力はついていない)、などが理由として挙げられる。慎さんの理由はおそらく僕が一番最後に挙げたことにやや近くて、自分にとってしんどいと思えることに対して極端に長く過酷に設定された距離を走破することで新たに得られる思考や感情に大きく価値を見出しているように思う。『ランニング思考』という本に次のような一節がある。
「逃れようのない長い苦しみを意図的に作りだし、苦しみの中で自分を静かに見つめながら、心を整え、仕事や人間関係、生き方について大切なことを学び取ること。一言で言えば、僕が長い距離を走る一番の目的はここにある。初のウルトラマラソン経験の後、僕は、心が疲れてきたときには長い距離を走るようになった。まだ解けないわだかまりは沢山あるけど、長い距離を走って苦しみ抜くたびに、僕は心の重荷を一つずつ落としてきたように思う。」
つまり千キロ以上の距離を走るとなると、邪念が頭を占領するような余裕はもはやなくなってしまい、誰もいない道を一人淡々と走っていると、ある種静謐な空間の中で一人自分自身と深く向き合うことができるようになるということだと思う。僕の場合はずいぶんと短い距離だけれど、同じように感じることはある。走り続けているとやがて無心になって、なんだか色々なことがどうでもよくなったり、自分が考えたいと思っていたことを深く考えながら走っている瞬間に遭遇することがある。これはスポーツ全般で起こりうることだとは思うけれど、ランニングのような退屈な単調さと隣り合わせのスポーツだとより起こりやすいんじゃないかと思っている。運動をしているときに考えることが必要だと、次にどう動けばいいかなど戦略的なことで頭がいっぱいになってしまって、それ以外のことを深く思考することが妨げられてしまうからだ。また、自傷的なほど苦しいことを通してしか辿り着けない境地というのもあるのだろう。
慎さんの本の中では苦しい経験とそれに伴う思考だけが語られているわけではなく、自分が窮地に立っているときほど他人の優しさに助けられていることに自覚的になるというエピソードが多数登場する。読んでいて少しほっこりとした気分になるやつだ。一ヶ月も走り続けていると毎日宿に泊まる必要があるのだけれど、夜になっても旅館にたどり着けず、夜中になってようやく到着したら、「ごはん食べた?食べてないよね。じゃあ、おにぎり作るから待ってて」と旅館の女将さんがおにぎりとまかないご飯のあら汁スープを出してくれたり、思いがけない他人の優しさに助けられるシーンがたくさん登場する。過酷な旅を一人の力だけで完走することはできないし、そういう生活の中だからこそ、普段当たり前と思ってしまっていることに対して敬意の念が生まれるのだと思う。
本の中でその他に紹介したい箇所はたくさんあるんだけれど、最後にもう一節引用したいと思う。
「今でさえ、走ることがある程度メリットベースのものであることは否定できない。それまでのこの佐渡のレースを通じて、僕にとっては知ることは以前とは違う意味合いを帯びるようになってきたのも事実だ。どう変わったのか。走ることが、教師、自分の人生の一部、瞑想の時間になった。走ることは予め期待していた分かりやすいメリットを飛び越えて、人間が生きていく上で大切な学びを僕にもたらしてくれるようになってきた。素直さ、謙虚さ、自意識を脱すること、生活のリズムを保つこと、物事をそつなく粛々とこなすことの大切さ、など、数えきれないほどの生きる知恵を、僕は走ることを通じて身をもって学んだ。人や物事と素晴らしい関係が築かれることは、その人なり物事が自分にとっての教師となるということなのだと思う。」
僕が走ることに同じような価値を見出すことができるかどうかは分からないのだけど、今の自分はかなり肩肘を張って生きていると自分自身感じているので、走ることが何かそれを和らげてくれるものになればいいと思っている。つい先日詳しい人にアドバイスをもらい、ランニングシューズを新調してアシックスのゲルニンバスというモデル(2万円くらいのちゃんとしたシューズ)を購入して気分が上がっているので、これで今年も頑張って、粛々と、楽しみながら走りたいと思う。
英語講師。ICU(国際基督教大学)卒。趣味はランニング、映画鑑賞、音楽ライブ鑑賞など。今年はエンタメを全力でたくさん楽しむというのが目標です。